奇門遁甲
陰陽道の占術は、貴族のみならず後に武家が台頭した際にも利用されていた。その占術は遁甲(とんこう)と呼ばれ、古代中国でも盛んに用いられていた。
三国志の英雄、諸葛孔明もこの術を多用して数々の戦闘を制したという。
この遁甲という術には次のような伝説がある。
その昔、中国の渭水(いすい)という川のほとりで、三年間も針の付いていない糸を垂らしている男がいた。周りの人々はこの奇行の意味が全くわからなかったが、ある日、その男は大きな鯉を釣り上げた。そして鯉の腹を開くと、中からある兵法が記された書物が現れたのだ。
ちょうどその頃、周の文王は夢の中で聖者が渭水のほとりにいて、その者の力を得れば周は守られる。という夢を見る。
文王は急いで使者を派遣し、軍師になるよう説得させた。
鯉を釣り上げた男は、太公望(たいこうぼう)という仙人であった。太公望は文王の要求に応え、周の軍師になりその後、数々の功績を挙げた。この太公望は中国の古典的名作『封神演義・ほうしんえんぎ』の主人公としても有名である。
太公望が得た兵法の書物は普通のものではなかったが、最終的には諸葛孔明によって完成されたと言われるもので、占術と易を駆使した一種の方位学的兵法であった。
この方術は、南が上になっている遁甲盤というものを使う占術で、占う本人が動くときは立向盤(りっこうばん)、占う本人が静止したままで周囲だけを動かす場合は、坐山盤(ざさんばん)という盤を使い、それぞれ年月日時を対応させながら占っていくものであった。盤の作り方や占い方は複雑なものであったが、使い方の手順さえわかれば誰でも使用できるものなので、日本の多くの武将もこの術を使用していたという。
遁甲とは、占星術の一種。天文現象から吉凶を判断して、人目をくらまし身を隠す術。遁術である。
奇門遁甲とは、方位術における最高の理論と応用ができる中国の運命学です。
中国では「諸葛孔明」が戦術として使い、百戦百勝したと言われる術ですが、これも奇門遁甲のごく一部の理論だけを使ったものと推測されます。
奇門遁甲という学問体系には、大きくわけて「立向」と「座山」という分野があります。「立向」とは、自分が動いて開運を呼び起こす術で常識の範囲で理解できる術なのですが、「座山」とは自分が動かずに開運を呼び起こす術でモノを埋めたりなにやら呪術的な要素が強いものです。
しかし、この座山を応用して、家相盤をつくることができます。
画像の写真を参考にして、調べながら作るのも面白いかもしれません。
家相盤 日時と方位で吉凶を占う
奇門遁甲を始め、中国占星術は全て太陽と地球と月の運行の関係から計算される学問ですから、太陽と地球と月の相互位置によって宇宙の気が決定されると考えます。太陽も地球も月も人類の文明がどんなに進んでも、その運行を変えるようなことはできませんので、それ自体を宿命または天運と考えます。その宇宙の気にマッチした行動をすれば、同じパワーでも何倍もの効果が発揮されるという理解をして頂ければ間違いないと思います。
もう少し科学的な説明を行えば、「生物物理学の観点から言えば、人体は常に電流の伝導と電位の変化によって磁場を生じ、その磁場地球の磁場が互いに反応し合って作用している。」(台湾の陳博士)ということでしょうか。
そして重要なことは、”行動する”ということです。奇門遁甲は、より効率の良い行動をするにはいつ何をするのが良いのか?を占う学問ですので、行動せずしては何も効果がないことを理解しておいて下さい。
盤の概要
奇門遁甲では必ず下が北になります。
これは中国の戦争の歴史において、北の民族が南に攻めていく時に使った術ですので、盤が見やすいように自分の陣地である北が自分から見て手前に来るように考えられた学問だからです。すなわち右が西で左が東となります。
盤は八方位から構成されていて、1つの方位は下記のように6コの星から構成されています。6コ全部を均等に見ると吉凶の判断は不可能ですので、優先順位をつけて見るようにします。
つまり天盤と地盤の組み合わせで吉凶の判断の60%を行います。残り30%を九星と八門の組み合わせで判断し、残りの10%を九宮と八神で判断します。ここの星の優先順位という考え方は実占の時に大変に重要ですので良く御理解下さい。
盤の種類
盤は年盤 月盤 日盤 時盤 の4種類があります。
1年以上という期間の行動、たとえば、引っ越し、留学、結婚式などは、年盤を使います。
1月以上という期間の行動、たとえば、長期出張、長期旅行どは、月盤を使います。
1日以上という期間の行動、たとえば、短期の出張、旅行などは、日盤を使います。
2時間以上という期間の行動、たとえば、商談、試験、面接などは、時盤を使います。
*それぞれ、盤の作り方というのは、微妙に異なります。
もし遁甲盤を作るのなら、良く調べて正しく使ってください。
巫術(ふじゆつ)・神懸かり(かみがかり)のメカニズム
巫術は陰陽道でも最も古い時期から行われていたもので、巫女(みこ)が神懸かり状態(トランス状態)になった際に、神霊からのメッセージを得たり、お伺いをたてたりするものである。
この巫術を行える者は、高度な資質が要求されていて、まず女性であること、次に神霊から選ばれた者や、霊媒としての才能が豊かなものでなければならなかった。
巫術のメカニズムは、文字通り『巫』という字に表されている。まず天と地を結ぶ柱がある。陰陽道では、この柱は気のルートを示すものとして『天気(陽)下降・地気(陰)上昇』と呼んでいる。
その柱の左右には人がいて、一人が神懸かりをする女性で、もう一人が神懸った女性の口から出る神の声を翻訳する男性を表している。
なぜか神懸かりをするのは女性、それを翻訳するのは男性の役目と決まっているようである。
倭の女王・卑弥呼も巫女であり、翻訳の役目は弟に任せていたという。
また、神功皇后の新羅征伐の際も、武内宿禰(たけのうちすくね)が沙庭(さにわ)にはべって神の命を請うと、皇后が神懸かり、『西に国あり、金銀をはじめとし、目に燃え輝く種々の珍宝多にその国あり、われいま、その国をよせ賜わむ』と口走ったという記述が『古事記』に記されている。
その神懸かりした巫女を翻訳できる力を持つ男性は審神(さにわ)と呼ばれていた。
この役目は巫女に乗り移った霊が、正しいものであるのか、悪いものであるのか判定しなければならない。
安倍晴明も、前述のように玉藻前(たまものまえ)に取り憑いた九尾の狐の正体を見破るために審神者役(さにわやく)をやっている。
陰陽道の祭祀の場合、どのような手順で行ったのかは判らないが、この祭祀は古神道のなかにも見られる。
古神道では、鎮魂帰神法(ちんこんきしんほう)といって、まず審神者と巫女が対坐し、特別な印を組んで、黙想(もくそう)し、ときには石笛を吹いたりして巫女に神霊が降臨するように祈祷するのだ。
このとき審神者は、まず自分の霊魂を神界、または霊界に飛ばし、そこにいる神霊に自分の体に入ってもらう。ただし、そのままであれば審神者自身が神懸ってしまうので、すばやく巫女の方へ神霊を転送するのである。
次に巫女に乗り移った神霊に対して審神者はいろいろな質問をはじめて、その神霊がどのようなものであるのか判断していくのだ。
もし、それが悪い霊であった場合には、審神者の霊力によって捕縛(ほばく)し、以後、悪さをしないように約束させるのである。ただし、これはひとつ間違えれば大変危険なものなので、降りてきた神霊が強力な力を持っていた場合、審神者と巫女の両方が逆に精神を犯されてしまうこともある。
だから、この方法を使える者は、かなりの霊能力を持ち、よほどの経験がなければならなかったのである。
このような巫女は古代から中世にかけては頻繁に行われてきたが、時代とともに次第に衰退の一途をたどる。
なぜならば、これらの占術というものはすべて権力者が掌握していったからだ。
村落共同体の社会では村に一人の巫女がいればよかったが、そのような共同体は権力者の手によって拡大され、国という形に変化していった。
そうなると多くの巫女は必要がなくなり、強い力を持った巫女が一人いさえすれば済んでしまうからである。
権力者はそのような力を持った巫女に自分の都合のいいような神のお告げだけを言わせ、民衆を支配しようと考えたのである。
式神(しきがみ)のルーツは紙人形
陰陽道では人形(ひとがた)を使い、自分の穢れ(けがれ)を拭い去る撫物(なでもの)という呪術があるが、この人形を式神のように使役する呪術もある。この術は古代中国ではよく用いられていたという。
撫物は文字通り、紙の人形を撫でることによって、その人の穢れを移し、それを川に流したり焼いたりなどして穢れを祓う陰陽道ならではの呪術のことである。今でも『大祓いの神事』などの儀式で紙の人形を見ることができるが、これがまさしく撫物にあたる。
正月に飾るしめ縄や松飾も、時期が来ると焼き捨てられることになるが、これもやはり、穢れを祓うという同じ思想を背景に持っている。
式神というのは、紙を切って人形を作り、床に並べ、まず兎歩(うほ)という呪術を行う。その後、口に含んだ水を紙の人形に吹きかけるとたちまち紙人(かみびと)が起き上がり動き出すのである。
紙人は呪術者の言うとおりに行動し、その目的が達成されたら再び戻ってくるのだ。
そしてまた口に含んだ水を吹きかけ、兎歩を行えば、紙人は再びただの紙に戻るのだという。この呪術は紙を切って兵を作るという意味合いから『剪紙成兵術・せんしせいへいじゅつ』と呼ばれていた。
この呪術の素材となるものは、単なる紙だけではなく、竹で骨格を作ったものなど立体的な人形も作られることがあった。
紙よりも効果があるものとしては木製の人形がある。この場合、木を削って人形を作り、呪いをかけたりする場合に用いられる。
なるべく呪う相手に似た人形を作り、もう一体別の人形と争うシチュエーションをしつらえると、呪われた相手は原因がわからないままトラブルが続くというものである。恐ろしいことになり、遊び半分では絶対に使ってはいけませんよ。