氣の施術師だからこそわかる氣と心、健康的な人生を過ごしていくために大切なこと。少しずつお話しています。
氣の話

氣の話

”気”とは宇宙にあまねく存在する力・エネルギーのことだと思う。この場合の宇宙とは、自分を中心としたときの天と地、前と後ろ、右・左の四方八方を意味する。距離は無限である。

この四方八方の空間には、物質を作っているすべての物が存在している。釈尊の説いた『空』はここにあるのではないだろうか。『色即是空』、『空即是色』は、このことを言っているのではないか。

宇宙にはすべての物を形づくり、あるいは形成し、そして変化させる“気”が存在している。この気を意のままに自由自在に取り込む技術を『採気・さいき』という。食べ物から元気を貰ったり、素敵な人と会い栄気を養うこともそうではないか。
食べ物の代わりになり食べ物以上に私たちにエネルギーをもたらしてくれるのが宇宙の“気”なのである。気功の達人たちはまったく飲食をしなくても、宇宙からこの”気””をもらって生きていくことが可能なのだ。『仙人たちは霞を食う』とは、まさにこのことであろう。

また、“気”が人間の身体からなくなると、死を迎えることになるとも言える。生命力の強さでも人間の元気の状態を量れる。
気功を取り込むことや、深く呼吸する呼吸法が上達すると気が強くなり運気も上がって来るので、深く呼吸することを習慣づけて貰いたい。
良い呼吸法は、検索すれば直ぐに出てくるので自分に合ったやり方を学べばよいと思う。

“気”は、ウェキペディアの解説によると、英語でいうAura(アウラ・オーラ)、ラテン語のSpiritus(スピリトゥス)、サンスクリット語のprana(プラーナ)と同じく生命力や聖なるものとして捉えられた気息、つまり息の概念がかかわっている。
しかしそうした霊的・生命的気息の概念が、雲気・水蒸気と区別されずに捉えられた大気の概念とひとつのものであるとみなされることによってはじめて、思想上の概念としての「気」が成立する。

雲は大気の凝結として捉えられ、風は大気の流動であり、その同じ大気が呼吸されることで体内に充満し、循環して、身体を賦活する生命力として働く。つまり、ミクロコスモスである人間身体の呼吸とマクロコスモスである自然の気象との間に、大気を通じて、ダイナミックな流動性としての連続性と対応を見出し、そこに霊的で生命的な原理を見るというアイディアが、気という概念の原型なのである。

 

一方では人間は息をすることで生きているという素朴な経験事実から、人間を内側から満たし、それに生き物としての勢力や元気を与えている、あるいはそもそも活かしているものが気息であるという概念が生まれる。そしてまたそこには、精神性、霊的な次元も、生命的な次元と区別されずに含まれている。ただし、精神的な次元は、後代には理の概念によって総括され、生命的な力としてのニュアンスのほうが強まっていく。

他方では、息は大気と連続的なものであるから、気象、すなわち天気などの自然の流動とも関係付けられ、その原理であるとも考えられていく。自然のマクロな事象の動的原理としての大気という経験的事実から、大気にかかわる気象関連の現象だけでなく、あらゆる自然現象も、ひとつの気の流動・離合集散によって説明される。この次元では気はアルケー(始源)としてのエーテル(神学)である。

この霊的な生命力として把握された気息であり、かつ万象の変化流動の原理でもあるという原点から、ついには、生命力を与えるエネルギー的なものであるのみならず、物の素材的な基礎、普遍的な媒質とまで宋学では考えられるようになった。

こうした由来ゆえに、気は、一方では霊的・生命的・動的な原理としての形而上的側面をもちながら、他方では、具体的で普遍的な素材(ヒュレー)的基体でありかつ普遍的なエーテル的媒質であるがゆえに、物質的な形而下的側面も持つという二重性を持つことになった。

気は、物に宿り、それを動かすエネルギー的原理であると同時に、その物を構成し、素材となっている普遍的物質でもある。従って、たとえば気一元論は、かならずしも唯物論とはいえない。

 

 

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