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陰陽道の由来(其の一)

陰陽道の由来(其の一)

陰陽道とは、古代中国の自然学であります。その起源たるや恐ろしく古く、紀元前2000年の中国にさかのぼります。


その頃日本では、縄文人達が石槍などで獲物を追っていた頃、中国人は爬虫類に凝っていたらしいのです。

たとえば、トカゲです。この者たちは湿気を好み湿気を飲んで水滴を吐く、この様子を観察し、ポタ、ポタ、ポタ、・・・太古のトカゲはバカでかいのです。

人々はその水滴に雨を感じて、トカゲが天界の水源に通じているとにらみました。それでトカゲをおだてて秘密を知ろうとしたのです。
そしてポタ・ポタ落としている唾液を観て、雨乞いの始まりになったらしいのです。

 

次に中国人はヤモリに注目しました。ヤモリは周囲の状況を敏感に察知し体を5色に変えます。これも人間の持っていない能力で、この者は天か地のどちらかに情報を持っているに違いないと感じ、そこで人々はヤモリが青くなったら進もうとか赤なら危険、中止するとか信号を盗用するようにしました。このようなことが占いの発生になります。

やがて周王朝の興った紀元前1000年頃、こうした学習をまとめて本を作りました。『易経』といいます。易とは『蜥蜴(易)』(せきえき)いわゆるトカゲでなのです。

中国人はトカゲを捕まえて油炒めにする前に、その習性を観察し、天地万物の謎に風穴を開けようとしていたのです。これが陰陽道の始まりでした。

 

トカゲから天地創造の秘宝を探り出すにはトカゲになるしかないと考えました。なぜ爬虫類は易なのだろうと。『トカゲはどこから来たのか』の問は『人間はどこから来たのか』の問に等しいのです。

それにしても、なぜ爬虫類=易なんだろう。思えば我々もかつてはエラで呼吸をしていました。ついで両生類になり、さらに何億年もかかってようやく今の姿になりました。その記憶が我々の遺伝子に刻まれていることは、羊水に浮遊する胎児の形相を見れば明らかであります。まさに爬虫類そのものではないでしょうか。
母なる子宮は、濃度0.85%の生理的食塩水、つまり海水でみたされています。
我々はこの海に六七二〇時間漂い、三億年の進化を体験し出生します。

 

この体験は日常的には意識されないが、人間共通の意識、ユングのいう『普遍的無意識』として心の深層に眠っていて、仮死状態や臨死の際にふっと甦ることがあります。
これを考えると、太古の中国人がトカゲのポタポタに母の脈動を感じ、あるいは自分の内の遠い先祖がはいあがった渚のリズムを聞いたとしても不思議ではないし、我々はもともとトカゲだったのだから、進化のあとから来る彼らにおのずと親しみを抱き、お前たちはどこから来て、なぜ、水滴を吐くのか訪ねたくなるのも当然であるとおもえます。

『トカゲはどこから来たのか』の問は『人間はどこから来たのか』という問いに等しいのです。

 

これを聞き出すのに選ばれたのが霊能者の『女媧』(じょか)であります。彼女は自ら仮死状態になり(神がかり)、トカゲにたちかえることができたそうな。トカゲには『伏義』という魂魄が宿るとされ、トカゲになることはこの神霊と交流することを意味しました。

 

中国山東省仁城にある漢代の霊廟『武梁』(ぶりょう)には下半身トカゲの女媧と伏義が交尾する壁画があるが、おそらく飼いならしたトカゲをメドハギというマメ科の草でジャラスうちに、女媧の官能が高まり、性的エクスタシーのなかで託宣されたことを示すのでありましょう。

ここで女媧を助けた魔女の箒木が、後に、『当たるも八卦当たらぬも八卦』の筮竹になったメドハギ『目処萩』(めどはぎ)でありました。

女媧のエクスタシーを通じて得た宇宙論は、あまりにも、うわの空でありました。真相はまるでつかめません。中国人はため息交じりに空を仰ぎました。星が綺麗だったに違いありません。

様々なことを考えるようになり、中国人はいつも天を仰いだのです。
星はなぜ輝くのか。それなのになぜ夜は暗いのか。ここに重大な秘密があるに違いないと考えました。これは現代の科学ですら完全には解けない難問であります。

 

ちなみに夜が暗いのは、宇宙の歴史が一点の爆発、すなわち、ビックバンが始まったために、星の光がいまだ宇宙全体を満たすだけの時間が立っていないから、というのが、とりあえず現代の宇宙論の立場であります。

中国人はどう考えたのでしょうか?『未だ天地あらざりしとき、混沌として鶏の子の如く、冥幸として始めて牙し豪鴻として滋萠す』三五暦紀

彼らは宇宙始源を、大いなる『混沌』と見たのです。『混沌』とは天地万物を生成させる根本的エネルギーでこれを『元気』といったのです。地球以前の宇宙は、混沌=元気をはらんだ途方もなく巨大なタマゴだったのです。
これは現代科学のいう一点(特異点)にあたります。

これが弾けるとどうなるのでしょうか?
『清陽なるものは薄靡(はくび)して天となり、重濁(じゅうだく)なるものは凝滞(ぎょうたい)して地となる。清妙の合専するは易く、重濁(じゅうだく)の凝結するは難し、故に天まず成りて地、後に定まる。』(『准南子』天文訓)

混沌=元気のなかの、軽く澄んだ性質は舞い上がって『天』となり、重くよどんだ性質は沈澱して地となりました。前者の成分はカラッと清浄でまとまりやすく、まず、『天』ができました。重く混合した成分は固まりにくいので遅れて大地が誕生しました。前者の軽く清浄な性質を、『陽』の気、後者の重くジトジトした性質を『陰』の気というのです。

 

『陰』『陽』の二気は、ともに宇宙根源の元気タマゴから発したのだから、てん、地、はもとより、同根でありあたかも男女が惹かれ合い、交合するごとくに作用し合います。

従って星の輝にもかかわらず夜が暗いのも、天地=陰陽交合の証なのです。
これが、古代中国の宇宙論、『陰陽道』の根本原理であります。

 

見ての通り、神だの、創造主だのという言葉はどこにもありません。カラッと明快、しかも、現代科学の一点=素粒子が、超高温、超高圧のもとで膨張し、ついに爆発して陽子、中性子を生じ、さらに原子核に進みます。その過程を太古の天文書がほぼ的確につかんでいるのは驚愕に値します。万物にれんこんが宿るとしてひたすら崇めた原始自然崇拝の時代に、神秘をただ、神秘とせずにその構造まで詮索する、ここがいかにも中国人らしい現実的な一面なのでしょう。

(陰陽道物語 滝沢解 引用、参照)

其の二につづく

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