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陰陽五行思想・説のこと

陰陽五行思想・説のこと

陰陽五行思想・説(いんようごぎょうしそう・せつ)とは、中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽説と五行説、それぞれ無関係に生まれた考え方が後に結合しました。

陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)、陰陽五行論(いんようごぎょうろん)ともいいます。

また、陰陽五行説は、伝統的な東洋医学の中心となる考え方です。陰陽説の始まりはBC1000年前後の中国と言われています。インドが起源のアーユルヴェーダの考えからから発展したとも言われ、アーユルヴェーダの考え方にも類似する部分があります。五行説の方が比較的新しく、最初の記録は紀元前400年前後になります。その後宗の時代(960年~)に五行説は医学に取り入れられました。陰陽の概念とも密接に関わってきます。

 

Wikipediaより。

陰陽説
陰陽説とは、「宇宙の万物は全て陰と陽の二つのエネルギーで構成されている」という思想です。このとてもシンプルですが奥の深いこの理念は、東洋医学や多くの食事療法や伝統医学の基礎となっています。西洋医学の歴史にも存在します。陰陽説は、アロマセラピーやメディカルハーブ、そのほかの自然療法や代替医療と密接な関わりがあります。この理論を知っていると、より植物や自然の働きを理解しやすくなり、世界が広がります。

 

[陰]と[陽]の4つの関係性

[陰]と[陽]は万物が持つ性質です。二つは相対的であり、どちらか一つでは存在しません。[陰]と[陽]の関係は4つの特徴があります。この関係性は、万物が生まれて無くなっていく循環の根本的な考え方でもあります。

対立

万物には対立する2つの面([陰]と[陽])が同時に存在しています。昼と夜、光と影といったように。

互根(ごこん)

[陰陽]は、どちらか一方のみで存在することはできません。光が無ければ影も無く、影が無ければ光を認識できません。

消長(しょうちょう)

[陰陽]の割合(量)は絶えず変化しています。昼間が長い季節があったり、夜が長い季節があるように。

転化

[陰陽]の質も変化しています。昼が続いた後に、夜が来ます。これは[陽]から[陰]に性質が転化しています。「[陰]極まれば[陽]となり、[陽]極まれば[陰]となる」ということわざは転化を意味しています。

 

五行説
五行」というように、五行説は五つの元素を軸に考えます。万物は[木火土金水]の5つの元素に分けられ、それらがお互いに影響し合って宇宙が成り立っていると考えます。この5つは、アーユルヴェーダの五大元素(空、風、火、水、地)と似ていますが、違う考え方です。アーユルヴェーダの五大元素は、万物の性質を表すのに対し、五行説の5つは、自然のエネルギーや動的な力のような概念です。

右上の図のように、五元素はお互いに影響し合っています。となり同士の元素(→)は相生関係であり、向かい合う元素(→)は調整する相克関係となります。これらは、古代人による自然の観察にもとづいて導き出された万物の理論です。

相生関係(そうせい)

相生関係とは、相手を助けて促進する関係です。どこから始まるかはいろいろな考え方がありますが、まず[水]から始まり、右へと変化していきます。水を吸って[木]が育ちます。[火]は木によって勢いを増し、燃えた灰は[土]の養分となります。土の中では養分が固まり[金]を生じさせます。金属の表面には[水]が生じます。矢印の始まりの要素が母、矢印の先の要素が子の関係になります。

相克関係(そうこく)

相克関係とは、相手を調整する関係のことです。[水][火]を消す力があり、勢いを調整します。[木][土]の養分を吸い、または根をはり勢いを調整します。[火][金]を溶かすことで調整し、[土][水]の流れを止めます。[金][木]を切り落とし、調整します。このようにより勢いを増す相生関係と、調整し合う相克関係がうまく組み合わさって自然界のバランスが取れています。私たちもこのバランスに沿って生きることで、スムーズに生きられると考えられています。

相乗

過剰な相克関係を相乗といいます。→の部分の勢いが強すぎたり、足りなすぎたりしてバランスが崩れた状態です。[水]の勢いがありすぎると、[火]が少なくなりすぎます。[火]が少ないので、[水]の勢いが更に増してしまっているような状態です。

相侮(反克・反侮)

→の方向が逆になってしまう現象を相侮、もしくは反克、反侮といいます。通常は、[水]が[火]の勢いを抑え、[土]が[水]の勢いを抑える関係です。しかし[水]の勢いがありすぎてしまうと、[水]が[土]をも抑えてしまう関係になってしまいます。

あらゆるものが五元素の性質を持ち、その中でも体の機能や心の状態は密接に結びついています。下記の表は五行配当表と言い、その例になります。

五行配当表

五元素の体の機能を表す概念を[五臓]といいます。[肝心脾肺腎]の五種類があり、それぞれ五元素の[木火土金水]に対応しています。西洋医学で言う腎臓、肝臓、心臓・・・などの臓器よりも広い意味を持っています。例えば、私たちの体の[水]のエネルギーに不調があるとき、それに対応する[腎]の機能が低下するという考え方です。[五臓]を補佐する機能に[五腑(六腑)]という概念もあり、[五臓]に対応する腑があります。

五元素に対応する、心の状態を[五志]や[五神]で表します。[五志]は特に感情で、[怒喜思悲憂恐驚]があり、それぞれ五元素の[木火土金水]に対応しています。[五神]は精神活動を表し、[魂神意魄志]が対応します。例えば、私たちの体の[水]のエネルギーに不調があったり、[腎]の機能が低下していると、感情面では[悲]をもたらします。精神面では[志]に影響をもたらします。

[五気]は気候の移り変わり、[五季]は季節の移り変わりを表しています。

[五色]は色の対応です。例えば、[肺]に対応するのは[白]ですが、[肺]のバランスをとるために、[白]色の食材が効果的です。

[五味]は味覚のことです。例えば、[脾]の不調には対応する[甘]が効果的なことが多いです。

五根・五支・五体・五液

これらの要素は、体のどの部分が対応しているかになります。[五根]は体の表面に現れる穴のことです。[五支]は不調が現れる場所、[五体]は対応する体の部位です。[五液]は対応する体液のことです。例えば、[肝]の不調は、[目][爪][筋]に現れます。

五方・五能・五刻

これらは自然の要素です。[五方]は方角、[五能]は自然のリズム、[五刻]は時間を表します。

 

陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになりましたが、 陰陽道などにおいては、占術などに用いられる事もありました。

 

十干十二支[編集]

陰陽五行説の基本は、木、火、土、金、水、(もく、か、ど、ごん、すい、金は「きん」でなく「ごん」と読ませる)の五行にそれぞれ陰陽二つずつ配する。甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸、は音読みでは、こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き、と読む。音読みでは陰陽と五行にどう対応しているか分かりにくいが、訓読みにすると、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、となり、五行が明解になる(かのえ、かのと、は金)。陰陽は語尾の「え」が陽、「と」が陰である。語源は「え」は兄、「と」は弟である。「えと」の呼び名はここに由来する。「えと」は本来、十干ないし干支の呼称だった。きのえ、は「木の陽」という意味です。

十二支にも五行が配されている。その前提として、季節に対応する五行(五時または五季)は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水である。土はどこへ来るかというと、四季それぞれの最後の約18日(土用)である。有名な「土用の丑の日」は夏の最後の時期(土用)の丑の日(丑は土の五行)ということである。各季節に十二支を配すると、

  • 春は、一月、二月、三月(五行は木、木、土)
  • 夏は、四月、五月、六月(五行は火、火、土)
  • 秋は、七月、八月、九月(五行は金、金、土)
  • 冬は、十月、十一月、十二月(五行は水、水、土)

となる(月は旧暦の暦月または節月)。

十二支の陰陽は、子から数えていき、奇数番目は陽、偶数番目は陰となる。十干と十二支が組み合わさるとき、陰と陽の組み合わせはなく、陽と陽、陰と陰の組み合わせのみとなる。そのため、10×12=120とはならず、半分の60通りになる。甲寅はあっても乙寅はない、乙卯はあっても甲卯はない。

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陰陽五行説の暦、またそれをもとにした占いは、立春を一年の始まりとしている。また月の始まりも1日ではなく、二十四節気のうち月の前半に来る十二の節(年によって違うが概ね5〜8日)が月の始めとなる。このように節から次の節の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。また月の節入り(せついり)という。

  • 立春(正月節)、新暦2月4日頃
  • 啓蟄(二月節)、新暦3月6日頃
  • 清明(三月節)、新暦4月5日頃
  • 立夏(四月節)、新暦5月5日頃
  • 芒種(五月節)、新暦6月6日頃
  • 小暑(六月節)、新暦7月7日頃
  • 立秋(七月節)、新暦8月7日頃
  • 白露(八月節)、新暦9月8日頃
  • 寒露(九月節)、新暦10月8日頃
  • 立冬(十月節)、新暦11月7日頃
  • 大雪(十一月節)、新暦12月7日頃
  • 小寒(十二月節)、新暦1月5日頃

だから小寒(1月5日頃)から立春前日(2月3日頃)の「年の干支」は前年の干支となるし、「月の干支」は十二月の丑となる。

陰陽五行説の論理[編集]

「陰陽五行説」とは前述の通り「陰陽説」と「五行説」を組み合わせたものである。 『管子』の四時篇の陰陽主運説から発展している。五行と陰陽の結合の発想は易の説卦傳に基づいている。説卦傳における「地」を四方の中央とし、これに陰陽と星辰を加えている[1]

「陰陽説」は古代中国神話に登場する帝王「伏羲」が作り出したものであり、全ての事象は、それだけが単独で存在するのではなく、「陰」と「陽」という相反する形(例えば明暗、天地、男女、善悪、吉凶など。前者が陽、後者が陰である)で存在し、それぞれが消長をくりかえすという思想である。陰陽は形に示すことができないもので、分析すれば千変万化となる[2]

陰陽は、(+)と(-)のように相対する両極のどちらに属性が高いかによって二分類する考え方である。固定的なものではなく、振り子が一方に振り切れると反対方向に戻るように、そのバランスは常に変化し増減している。

五行説は、治水に功績をあげて舜から禅譲された禹が、治政にあたって天帝から与えられた九種類の大原則(洪範九疇)の第一として、五行(火水木金土)が明記されている。「五」の起源については東西南北の四方に中央を加えたものという考え方(東‐木・南‐火・中央‐土・西‐金・北‐水)と、肉眼で観察が可能な五つの惑星、五星(水星・金星・火星・木星・土星)に淵源があるとする考え方がある。

五行相生・五行相剋[編集]

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五行説の特徴は、「相生」と「相剋」という、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方である。相手の要素を補い、強める影響を与えるものを「相生」、相手の要素を抑え、弱める影響を与えるものを「相剋」という。注意しておきたいのは、「相生」は相手を強めるので常によい、「相剋」は相手を弱めるので常に悪い、という捉え方ではないことである。

五行相生
木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」という関係を『五行相生』という。
木は燃えて火になり、火が燃えたあとには灰(=土)が生じ、土が集まって山となった場所からは鉱物(金)が産出し、金は腐食して水に帰り、水は木を生長させる、という具合に木→火→土→金→水→木の順に相手を強める影響をもたらすということが「五行相生」である。
五行相剋
「水は火に勝(剋)ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ」という関係を『五行相剋』という。
水は火を消し、火は金を溶かし、金でできた刃物は木を切り倒し、木は土を押しのけて生長し、土は水の流れをせき止める、という具合に、水は火に、火は金に、金は木に、木は土に、土は水に影響を与え、弱めるということが「五行相剋」である。

日本における陰陽五行思想[編集]

仏教儒教と同じ5世紀から6世紀日本には暦法などとともに伝わり、律令により陰陽寮という役所が設置された。その後、道教道術を取り入れて、陰陽道へと日本独自の発展をした。  また、陰陽五行思想は年中行事にも強い影響を与えているとする説もある。それによれば、正月となっており、それぞれの始めを示す。正月は木気、火気の始めでもあり、門松を飾ったり、とんど祭りをしたりする。対しては水祭りとして燈籠流しなどが行われる。また、陰陽のバランスをとるためにとんどは水辺で行われ、燈籠流しは火を灯した舟を水に流す[3]

陰陽五行説」とは前述の通り「陰陽説」と「五行説」を組み合わせたものである。

『管子』の四時篇の陰陽主運説から発展している。五行と陰陽の結合の発想は易の説卦傳に基づいて、説卦傳における「地」を四方の中央とし、これに陰陽と星辰を加えている[1]。

「陰陽説」は古代中国神話に登場する帝王「伏羲」が作り出したものであり、全ての事象は、それだけが単独で存在するのではなく、「陰」と「陽」という相反する形(例えば明暗、天地、男女、善悪、吉凶など。

前者が陽、後者が陰である)で存在し、それぞれが消長をくりかえすという思想である。

陰陽は形に示すことができないもので、分析すれば千変万化となる[2]。

陰陽は、(+)と(-)のように相対する両極のどちらに属性が高いかによって二分類する考え方。

固定的なものではなく、振り子が一方に振り切れると反対方向に戻るように、そのバランスは常に変化し増減している。

五行説は、治水に功績をあげて舜から禅譲された禹が、治政にあたって天帝から与えられた九種類の大原則(洪範九疇)の第一として、五行(火水木金土)が明記されている。

「五」の起源については東西南北の四方に中央を加えたものという考え方(東‐木・南‐火・中央‐土・西‐金・北‐水)と、肉眼で観察が可能な五つの惑星、五星(水星・金星・火星・木星・土星)に淵源があるとする考え方がある。

日本における陰陽五行思想[編集]

仏教儒教と同じ5世紀から6世紀に日本には暦法などとともに伝わり、律令により陰陽寮という役所が設置されました。

その後、道教の道術を取り入れて、陰陽道へと日本独自の発展をしました。

また、陰陽五行思想は年中行事にも強い影響を与えているとする説もあります。
それによれば、正月は寅、盆は申となっており、それぞれ春、秋の始めを示します。

正月は木気、火気の始めでもあり、門松を飾ったり、とんど祭りをしたりします。対して盆は水祭りとして燈籠流しなどが行われます。

また、陰陽のバランスをとるためにとんどは水辺で行われ、燈籠流しは火を灯した舟を水に流します[3]。

 

(ウキペディア 陰陽道の本 Timeless Edition 引用 参照)

 

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