陰陽道は日本に入ってきた時点で既存のさまざまな思想や呪術を取り入れました。その中には原始シャーマニズムと呼ばれるものもあります。
安倍晴明は陰陽師として当時並ぶもののない実力者であった賀茂忠行に師事し、やがて師の呪術力を凌駕するのです。その評判は宮中、都にとどまらず諸国に行き渡り、全国に驚くほどの晴明の名を刻みました。
晴明は忠行が得意とした射復蔵鈞の法はもとより、様々な呪術を操りました。
晴明の屋敷では、人が誰もいないのに蔀(しとみ)が上がったり、門が閉じたりしたと言います。これは晴明の操る式神の仕業であると、人々は噂したのです。
この晴明の屋敷は残っていませんが、現在は屋敷跡の一角、京都市上京区堀川通りのほど近くに晴明神社が建っていて、清明を慕う人々や厚い信仰の集まる地となっております。
はたして晴明の呪術力が忠行の鬼の一族の血を引いて発露したものであったのか、また、狐の化身であったとされる母の、先住民族の巫女としての才能であったのか。
または都で権勢を誇っていた中央阿部氏のすえであったのか、東北の阿部氏のすえであるのか・・・・・定かではないのです。
しかし、無類まれなる呪術力を擁した晴明は、その出生も謎に包まれたまま、今も人々を魅了してやまないのです。そしてその呪術は、今もなお、さまざまな場所で生き続けているのであります。
安倍晴明にも先住民族の巫女(シャーマン)の血筋が入っている可能性が高いのは先に述べました。
シャーマンとは何か?
一般的にはまじない師、脱魂・憑依 (ひょうい) のような特異な心理状態で、神霊・祖霊などと直接に接触・交渉し、卜占 (ぼくせん) ・予言・治病などを行う呪術 (じゅじゅつ) ・宗教的職能者。神懸かりをして神託を受ける者、と考えられていますが、実際には祭司であり、文字通り神々を祀る際に重要な役割をする力を持つ者なのであります。
それを裏付ける如くに晴明も泰山夫君祭をはじめ宮廷における数々の祭祀を任されているのです。
祭司とは、霊的対象と直接接触し、直接交流できる力を持つ人物を指すのです。シャーマニズム研究で有名なシカゴ大学のJ・ワッハ博士も「祭司の権威とは、役職のカリスマに基ずく」と指摘しているように、祭祀を司る者には、カリスマ性が不可欠であり、安倍晴明はその素質を充分に持ち備えておりました。
文化・宗教人類学者である佐々木宏幹教授によると、シャーマンとは次の三種に分類できるといいます。一、精霊統御型、二、霊媒型、三、予言者型、の三種であります。
安倍晴明は、このうち精霊統御型のシャーマンだったと考えられるのです。精霊統御型シャーマンとは神を祀りつつ、精霊を統御し、駆使することができるものを指すからです。
通常の人間は、日常的現実のみ認知しているが、シャーマンは非日常的現実(この世のものとは思えないような存在のすべて)についても精通しており、また、自分の意識をその世界へ飛ばす能力を持っているのです。
ただし安倍晴明のような精霊統御型のシャーマンは、霊的存在に対して知覚、感覚的に関与するだけで、トランス状態に陥り霊を自分の身体へ憑依させることは行わなかったようです。
次に精霊統御型シャーマンの条件として、かならず一体またはそれ以上の精霊を従えなければならないということがあります。
この精霊にはさまざまな種類があると言われ、世界中で見られる多くのシャーマン達は、アニマル・スピリット(動物神)という精霊を従えていることが多いのです。安倍晴明の場合は、十二神将という式神を従えていたことから、この条件を満たしていたことになります。
易を考案した中国の神話に登場する伏羲(ふっき)もやはり太古のシャーマンであったが、晴明と違い、霊媒型、予言者のシャーマンだったと考えられます。
日本においても縄文一万年といわれる時代にもこのシャーマニズムは存在していました。そしてそれは古神道などの原始宗教の中に存在したのであります。
しかし、文化的に違った民族の日本への流入により、原始シャーマニズムも変容し他宗教に習合された形で伝承されていったのであります。
易と原始シャーマニズム
陰陽道はもともと古代中国の陰陽五行説、十千十二支の呪術信仰、民間に広まった道教の天文、暦数、亀卜(きぼく)、占筮(せんぜい)、などが習合したものと考えられます。
したがって宗教というよりも、自然界のすべてのものを陰陽の理法により解釈する民間呪術といった性格が強いのです。
陰陽道では、宇宙を想像したのは、全知全能の神ではなく、太極というすべてを包括した存在であり、そこから陽と陰という二つの気が発生し、その二気が自然界のあらゆるものを構成していったと説かれます。
伏羲は六千年前、中央アジアの森の奥で、大宇宙から啓示を受けて、宇宙の形を模して先天八卦図を考案したと伝えられております。
この伏羲は、人頭蛇神のシャーマンであったとされ、つぎのような伝説があります。伏羲と妹の女媧(じょか)は太古の昔、大洪水が起こった際に、たった二人だけ生き残り、それから人類の始祖となったということです。
このような伝説は世界中の神話の中にも多く見られ、古代ギリシャの哲学者ヒロラウスも宇宙には男性原理と女性原理があるとし、その二つの原理が合することによって万物が生じたと唱えているのです。
このような二原論的世界観の歴史は古く、陰陽道の起源を明確にすることは神話時代に遡(さかのぼ)らなければならないのです。また、陰陽道には他の原始宗教のように開祖も存在せず、唯一の経典なども無いのです。
邪馬台国の女王・卑弥呼は鬼道という陰陽道的要素を多分に含む呪術宗教を操る巫女であったが、この鬼道も原始シャーマニズムであり、古代においては権力を握る人物は呪術的な力を併せ持っていなければならなかったと言えます。
日本で陰陽道が最も興隆したのは、奈良期から平安期にかけてだが、戦国時代を境にして次第にその影響力は薄れていきます。しかし、完全に姿を消した訳ではなく、陰陽道のエッセンスは、いろいろな宗教や占術の中に深く浸透し生き続けているのです。
日の吉凶、大安や仏滅などももとを正せば仏教ではなく、陰陽道の暦からきているものだし、神社で売っている御守りや護符なども陰陽道の呪符の影響を受けているのです。
つまり、陰陽道は他宗教に多大な影響を及ぼしたにもかかわらず、自らの存在を次第に消し去っていったのであります。
現在も陰陽道は単独な宗教ではなく、神道の範疇に入っているようです。
(陰陽道 其の二 安倍晴明 封じられた呪術、秘められた占術、歴史の謎研究会 陰陽道の本 引用 参照)