伊勢神道と陰陽道
こうした両部神道の影響をもとにして伊勢神道が登場する。伊勢神道は両部神道に輪をかけて特殊な神道説になっていた。その教説は、天皇の祖神天照大神を祀る伊勢神宮は神道の中心であるにもかかわらず、仏教に汚染されているから、それを排除しなければならないという主張が底辺にあった。だが、伊勢神宮自身、仏教や陰陽道などと抜き差しならないまでに、深く根を張って習合していたのだ。
伊勢神宮と陰陽五行説の密接な関連性もある。伊勢神道の教説のピークは度会家行(わたらいいえゆき)の『類聚神祇本源・るいじゅうじんぎほんげん』にある。まず、天地開闢(てんちかいびゃく)を説明するにあたって、宋の周敦頤(しゅうとんい)が作った太極図(たいきょくず)を転載し、陰陽五行説を説き明かしている。
さらに『古今帝王年代歴』『老子道徳経』『律歴志・りつれきし』『周易・しゅうえき』『淮南子・えなんじ』『荘子・そうし』と『五行大義』『三五暦記』などから陰陽五行説、五気説など天地開闢(てんちかいびゃく)の部分を引用しているのであるが、それはそのまま陰陽道や道教の宇宙論のアンソロジーともなっている。アンソロジーとは、特定のジャンル(文学分野)から複数の作品をひとつの作品集としてまとめたものを指すこと。多くの場合、主題や時代など特定の基準に沿ったものが複数の作家の作品から集められる。
また、八卦(はっか)の原図になったという河図(かと)や、書経の『洪範九疇疇・こうはんくちゅう』のもとになったという落書を図示している。
また、坎(かん)、離(り)、震(しん)、兊(だ)の四卦を四正(しせい)というが、その四正に方位を当てるとともに、坤(こん)、艮(こん)、巽(そん)、乾(けん)の四方の四維(しい)を合わせた文王八卦方位図(ぶんおうはっかほういず)を掲載するのである。
このほかにも、『神皇実録・じんのうじつろく』『日本書紀』『天地霊覚書・てんちれいかくしょ』『長阿含経・じょうあごんきょう』『秘蔵宝鑰・ひぞうほうやく』などの文献から天地開闢に関わる箇所を博引傍証(はくいんぼうしょ)している。同書は中世神道の異形なボルテージを窺うに足る一大曲型といっても過言ではないだろう。
吉田神道と陰陽道
こうした両部神道、伊勢神道などの神道教説をスプリングボードにして、室町末期に成立したのが、吉田神道である。
吉田神道を大成した吉田兼倶(よしだかねとも)の著作、『唯一神道名法要集・ゆいいつしんどうみょうほうようしゅう』ほど
陰陽道の影響が顕著な著者は稀であろう。
まず、神道を定義して元本宗源神道(がんぽんそうげんしんどう)・吉田神道こそが、日本の開闢以来(かいびゃくいらい)、唯一の神道であると自画自賛する。元本の元とは、『陰陽不測(ふしき)の元元を明か』し、本とは、『一念未生の本本を明かす』という意味で、さらに、『一気未分の元神(もとつかみ)を明か』し、『万法純一の元初(はじめ)に帰す』と説く。
易の世界観をもとにしているのが、明らかであろう。
吉田神道が依拠する典籍として三部の本書(顕露教(けんろきょう)=記紀と、『先代旧事本紀・せんだいくじほんき』と三部の神経(穏幽教・おんゆうきょう)を上げるが、吉田神道の本領は、顕露教(けんろきょう)よりもむしろ、穏幽教・おんゆうきょう)にこそあると強調する。
三部の神教とは、『天元神変神妙経・てんげんじんべんしんみょうきょう』『地元神通神妙経・ちげんじんつうしんみょうきょう』『人元神力神妙経・じんげんじんりきしんみょうきょう』で、これらの神経は、吉田兼倶によれば、『天児屋根命・あめのこやねのみことの神宣・しんせん』であり、後世、北斗七元星宿真君(ほくとしちせいしゅくしんくん)が天降って伝え、経典としたものであるという。
もちろんすべては吉田兼倶の想像上の産物なのだが、そこには兼倶の精神の指向性がはっきり見て取れることも事実である。北斗七元星宿真君(ほくとしちせいしゅくしんくん)は北斗七星を神格化した神仙であり、陰陽道や道教的コスモロジーが兼倶の理論的支柱をなすものであったことが、如実にわかるのである。
神道オルカティズム(神秘学)の確立
穏幽教(おんゆうきょう)の重視でも明らかなように、吉田兼倶に言わせれば、明らかになったものよりも、神秘的なものや、隠されたものなどの密議にこそ、本当の意味での価値があるという。
言葉を変えていえば、オルカティズムへの指向性が極めて強いわけで、実際、兼倶は諸神社の祀官(しかん)には、吉田神道を伝授してしてはいけないなどと、禁戒(きんかい)をわざわざ明記しているほどである。
オルカティズムとは神秘学とでもいうべきか、本来は占星術、錬金術、魔術などの実践を指し、これらを occult sciences (オカルト学)と総称することもある
それはともかく、高天原(たかまがはら)の説明も道教経典『北斗元霊経・ほくとげんれいきょう』の天界説・三清(さんせい)を援用している。すなわち、『夭(無)上とは、高天原の尊号也(そんごうなり)。太極の天是也(てんこれなり)。三清(さんせい)の天とは『北斗元霊経・ほくとげんれいきょう』に曰く。『無色界のその上に三清の天有り』と。太極は玉清(ぎょくせい)、大清(たいせい)なり。夭(無)上極天は是れ高天ノ原なり』とある。
また、吉田神道の三種の大祓(おおはらえ)のひとつは、寒言神尊利根陀見(かんこんしんそんりこんだけん)というが、これは八卦(はっか)(坎艮震巽利根陀乾・かんこんしんそんりこんだけん)の発音をそのまま漢字に並び置いただけのものである。
また、兼倶の代表作のひとつ『神道大意・しんどうたいい』にも陰陽道理論が中心を占めており、たとえば、人体頭部の七穴(しちけつ)を天の七星に、腹部の五臓を地の五行に当てはめている。
天、地、人にもそれぞれ五行を配当する。天の五行は、水徳の神、国狭槌尊(くにさつちのみこと)、火徳(かとく)の神、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、木徳(もくとく)の神、泥土煮尊(ういじにのみこと)と砂土煮尊(すいじにのみこと)、金徳(きんとく)の神、大戸之道尊(おおとのじのみこと)と大苫辺尊(おぽとまべのみこと)、土徳(どとく)の神、面足尊(おもたるのみこと)と惶根尊(かしこねのみこと)である。
一方地の五行は、三生元木(さんせいげんぼく)の神、句句廼馳命(くくのちのみこと)、二儀元火(にぎげんか)の神、軻遇突智命(かぐつちのみこと)、五鬼元土(ごきげんど)の神、埴安命(はにやすのみこと)、四殺元金(しせつげんこん)の神、金山彦命(かなやまひこのみこと)、一徳元水(いちとくげんすい)の神、罔象女命(みずはのめのみこと)である。
また、人の五行は、地大輪(ちたいりん)の神、天八降魂命(あまのやくだりむすびのみこと)、水大輪(すいだいりん)の神、天三降魂命(あまのみくだりむすびのみこと)、火大輪(かだいりん)の神、天合魂命(あまのあいむすびのみこと)、風大輪(ふうだいりん)の神、天八百日魂命(あまのやほひむすびのみこと)、空大輪(くうだいりん)の神、天八十万日魂命(あまのやそよろずひむすびのみこと)である。
以上のような陰陽道の所説を踏まえて、兼倶は吉田神社に中世オカルティズムの殿堂ともいうべき大元宮(だいでんぐう)を創設する。
そして兼倶は根本神・虚無太元尊神(きょむたいげんそんしん)を祀る、この大元宮こそ、天神地祗八百万神(あまつかみくにつかみやおよろずのかみ)、六十四州三千余社の神々の根元地にして日本最上の霊社であると内外に喧伝するのである。
まさに、両部神道以来の神道説の完成である。
現在の神社神道からすれば、異端以外の何物でもない、シンクレティズム(諸神混交主義)の化け物のような感がある。
だが、吉田神道こそ、それまでの神社信仰に陰陽道のエッセンスなどを最高レベルで合体結合した、日本的シンクレティズム=中世オルカティズムの金字塔であり、以後、明治維新に至るまで、はかりしれない影響を陰陽道宗家や各神道流派はもとより、仏教界にも与え続けていくことになるのである。