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陰陽道と空海

陰陽道と空海

弘法大師空海

ヒーロー空海の登場となる。
桓武がパニックに陥ったころ、空海はまだ学生であった。寺嫌いの桓武が頼ったのは最澄である。桓武の心に深く突き刺さった茨を見抜いたのは、あそらく最澄だけではなかろうか。
最澄は法華経を説き、天台教学に基づき『戒』をすすめた。戒とは、行いを慎み、悪行をしないという誓いである。これを身につければ、香気が四方にただよい、ちょうどクスノキの芳香が害虫を寄せつけないように怨霊から身を守れる。いってみれば意思の森林浴だ。

 

しかし、意志はすでに萎えている。というより、意志のかけらでもあればあれほど怯えたりはしない。森林浴で立ち直れるほど桓武の傷は浅くなかった。

 

帝を救うにはもはや密教しかない。
そう判断した最澄は、延暦二十三年(804)、遺唐大使藤原葛野麻呂に随行、中国天台宗の研修におもむく、同行者に、後の怨霊・橘 逸勢(たちばなのはやなり)がいたのは皮肉だが、その末席に空海もいた。
同便とはいえ最澄は交換教授待遇(還学生・かんがくしょう)。
空海は給費もろくにない留学生(るがくしょう)、その身分は一等船室と船倉の差があった。

帝が気がかりでならない最澄は、研修もそこそこに九ヶ月で帰国する。だが、万事休す、桓武を死の淵から連れ戻すことはできなかった。

そして大同元年(806)、空海帰国と同時に御霊が襲うのである。
空海はすぐさま察知したに違いない。

予兆は入唐以前からあった。それがいまやはっきりと現れている。この国はとんでもないことになる。最澄の霊視した桓武の棘棘(いばら)が、空海には魔剣に見えた。それが平城の脳天に突き刺さっているのだ。これを抜かないと国は滅びる。

空海の格闘がはじまった。

これが真言宗に伝わる『鎮護国家法』である。国難消滅・怨敵調伏とは、国王に突き立った魔剣を抜くことなのだ。
理念としての鎮護国家は太古からある。
荒御魂(あらみたま)は古代人にとっても恐るべきモノであった。人々は捧げものをし、祀り上げて何とか和(なご)んでくれるのをひたすら待った。つまり、御霊を怒らせないことが日本古来の神事である。
だが、御霊はもう怒っているのだ。神事で鎮めようがなくて桓武は死んだ。
これだけ怒らせてしまったらこの先どんなに待っても埒(らち)が明かない。

だが、空海の戦法はちがった。

『談合』である。

しかるべく荘厳された会堂で、空海はおもむろに真言を唱え始める。
空海の正面に結跏趺坐(けっかふざ)するのは、『尊星王・そんじょうおう』、北斗七星の化身『北辰菩薩・ほくしんぼさつ』(妙見菩薩・みょうけんばさつ)だ。
左手に蓮華を持ち、右手説法印。その両側に、貧狼星(とんろうせい)、巨門星(こもんせい)、禄存星(ろくぞんせい)、『文曲星』(もんごくせい)、『廉貞星』(れんじょうせい)、『武曲星』(むごくせい)、『破軍星』(はぐんせい)と、七星神が空海を囲む形に陣取っている。

さらにその外側に、甲寅将軍と丁卯従神、甲辰将軍と丁巳従神、甲牛将軍と丁未従神、甲申将軍と丁酉従神、甲戌将軍と丁亥従神、甲子将軍と丁丑従神らが、姿は人身、頭は干支という異様さで並ぶ。

これだけの星神に見守られる空海は、つまり、『星曼陀羅』のど真ん中にいる。

そこへ新たな八神が召喚される。

太白星(たいはくせい)(金星)からは大将軍神、歳星(さいせい)(木星)からは、大歳神(だいさいじん)、鎮星(ちんせい)(土星)から、大陰神(だいおんじん)と歳破神(さいはじん)、辰星(しんせい)から歳刑神(さいぎょうじん)、蛍惑星(けいわくせい)(火星)の歳殺神(さいせつじん)、羅睺星(らごうせい)の黄幡神(おうばんじん)、計都星(けいとせい)の豹尾神(ひょうびじん)。

彼らはいずれも方位の吉凶を司る鬼神であり、談合は星神立会いのもとに、これら八神と空海の間で行われる。

 

『尊星王陛下ならびにご来臨の閣下各位・・・・・』
空海はすでにこの世の人ではない。

『われらの国ではいまだに成仏叶わずさまよう者が、生者を苦しめておりまする』
『その元凶がわしらだというのか』
『大将軍神が目をむいて怒鳴る。金星と空海はなにせ深い仲だ。
『わしらの営為は大宇宙の原理である。それを吉凶だの祟りだのと騒ぐのは汝ら人間どもの浅知恵よ』
『浅知恵も原理の端くれ』
空海も負けてはいない。
『しからば原理と原理でお尋ねするが、閣下のおられる明星は果たして安泰か。昨今の異変だけでも七件。流星七件。関連事件として彗星十七件流星七件。このほか蛍惑星でも九件。歳星で八件、鎮星四件。これは大乱ですぞ。お暦暦には些細な事変でも我ら浅知恵がこうむる影響は計り知れんのです。話し合いで何とかしていただかないと』
といった議論が続き、場合によっては、天照大神から大国魂神、さらには中国の泰山府君までが参考人として招請(しょうせい)される。空海は高天原も天体とみなしていた。

これが空海式星辰談合、すなわち、『北斗七星護摩法』である。

空海にとって、世人の祟りとは星神動乱の反映にしかほかならない。天皇受難はその最たるものだから、直接対決しない限り、方忌だの物忌みだといくら逃げ回っても無駄なのだ。

空海の星辰信仰には、天地=陰陽交合という根本原理だけでなく、陰陽道特有の神霊説得法がそのまま生きている。

 

一例を能の『鉄輪・かなわ』』にみておこう。

この夢幻能は、れいの『丑の刻詣・うしのこくまいり』の演劇化で、登場するのはあの安倍晴明である。
下京の女(シテ)は彼女を捨てて後妻を娶った夫を恨み、鞍馬山の貴船神社に丑の刻参を重ねてついに生霊を発する。祟られた夫婦は悪夢がつづき、このままでは命が危ない。そこで、晴明が生霊調伏にのりだす。

まず、供物などの置く祭壇に夫婦の形代をのせる。男の身代わりは侍 烏帽子、女は髲(かづら)である。次に、等身大の茅(かや)人形に夫婦の名を書き籠め、周囲を五色の幣束で結界すると、晴明がおもむろに神霊に呼びかける。

『伊邪那岐(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)よ。男女が引き合うのは天開け地固まってこのかた陰陽交合の道、この夫婦のしたことは、あなたがたが高天原でなさったことじゃないですか。それを何だってまた生霊などにじゃまさせるのです。この夫婦まだ寿命でもない命を取られでもしたら、あなたがたもまずい立場になりますよ。なんなら皆さんに聞いてみましょうか』

そして星神、八方所神、五方五帝、さらには仏菩薩、明王にいたるまでありとあらゆる神霊諸仏を唱えて擁護をねがう。

すると、『不思議や、雨降り風落ち、神鳴り稲妻しきりに満ち満ち、御幣もざざめき、鳴動して、身の毛よだって恐ろしや』という事態が起こる。神霊が反応したのだ。ちなみに、貴船の祭神は伊邪那岐の子で、雷雨を司る水神である。

 

そしていよいよ女の生霊が現前する。夫の烏帽子に向かって恨みのたけをぶちまけると、後妻の形代をつかんで打ち据え引きむしって荒れ狂う。だが、清明の説得でしだいに鬼気おとろえ、やがて茅人形に吸収されていくのである。

はっきり言ってこれは取引だ。
神霊諸仏とは、ただ畏怖し崇めるものではなく、おだてたり脅したりして何とか要求に応じさせるために祀るのであって、ここに陰陽道のしたたかな神概念がある。空海はこれを宇宙的談合まで体系化したのだった。

空海の修法は極めて視覚的で、たとえば、祈雨法にしても九尺もある茅製の竜を、東南西北中央に五基作り、和紙を貼って彩色し眼を入れ、この背に同じく茅製で金色に塗った蛇を置き、梵字を頭に書き籠める。

壇上には四方に過敏を置き、金、銀、瑠璃、真珠、水晶の五宝、安息・薫陸・白檀・蘇合・竜脳の五香、人参・茯苓(ふくれい)・天門冬・甘草・白芥子の五薬が供えられる。
周囲は青色の幕が張られ十四流の庭幡(ていばん)がなびく。

 

天皇重大事に修せられる『五壇御修法・ごだんのみしゅうほう』では、不動、降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の五大明王を、大壇、息災護摩壇、増益護摩壇、聖天壇、十二天壇に安置する。
知恵の火で迷いの薪を焼く護摩壇も、息災、増益、調伏など目的によって、円形の水輪壇、方形の地輪壇、八角の蓮華壇、三角の火輪壇などなどを使い分け、また始まる際の作壇法、終了後の破壇法など作法は複雑多岐にわたる。

 

空海がギンギラの荘厳マニアといわれるほど儀軌を重んじたのは、これが神仏との談合装置だからなのだ。
空海の密儀は、今日、行われているような神事、仏事とはまったくちがう。それは太古のシャーマンをうけつぐ天地交合である。
空海のような高度のシャーマンは、この装置をくぐって異界交信をはたした。
その神がかりの濃密さを普通人が見たら胸がわるくなったろう。
そうでなければ御霊を撃退できはしない。空海のギンギラは、だから、祟を跳ね返す強力な武器でもあったのである。

 

空海の思想を忠実に受け継ぐ修験道の『柴灯護摩・さいとうごま』で行われる宝弓作法は、東南西北中央に矢を放って結界し、丑寅の鬼門に射込んだ矢で祟りを封殺するもので、祭祀そのものの武装化である。
九字の真言を唱え、川べりで天狐・人狐・地狐の形代を水に流しながら、中臣祓いを奏する『六字河臨法・ろくじかりんぽう』。
天神地祓を拝し、四隅に疫神を祀って、祟り神に祟りを封じさせる『四角四堺祭・しかくしかいさい』。

さらには、百怪祭(ひゃっけさい)、呪詛祭(ずそさい)、霊気祭(れいきさい)、痢病祭(りびょうさい)、霊気道断祭、七瀬祓(ななせのはらえ)などなどの奇祭、鬼気祭によって、密教も神道も、その習合としての修験道も、文字通り一丸となって『平安自衛隊』を結成した。

この防衛網こそは、陰陽道の空海的展開であり、奈良末期に本格輸入された陰陽道が、祟りによってはじめて日本化したのである。

死者対生者。

生者の勝利は確実に見えた。

実際はどうだったのか。

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