氣の施術師だからこそわかる氣と心、健康的な人生を過ごしていくために大切なこと。少しずつお話しています。
行っておきたい!パワースポット神社めぐり ①

行っておきたい!パワースポット神社めぐり ①

義経神社

北海道 

義経神社  源平合戦のヒーロー・源義経は、兄である頼朝に追われて、奥州平泉(岩手県)で非業の
最期を遂げたとされる。だからこそ、岩手を中心とした東北地方各地には、彼を祀り、その恨みを鎮めるための神社が複数あります。
が、北海道平取町の義経神社は、それらとは由来を異にする。義経は平泉では死なず、蝦夷地(北海道)へ落ち延びていたという異説に基づいて、幕末になってから建立されたものなのです。社伝によれば、彼はアイヌ民族に農耕や船の建造法を教え、彼らからカムイ(神)と呼ばれて慕われていたという。
境内には義経資料館があり、桜やツツジの名所としても有名です。
毎年8月の例祭は、平取観光の目玉となり、その所在地を含む日高支庁は、日本有数の馬の産地でもあり、競馬ファンが牧場行脚の途中で立ち寄ることも多い。(北海道沙流郡・ほっかいどうさるぐん)

 

祭神 源 義経 : ご利益 競走馬の守護 ギャンブル勝利

 

北海道神宮  北海道の開拓が本格的にスタートした明治時代初期、天皇の詔(みことのり)によって
建立された。当時の日本は、北方の大国ロシアの脅威にさらされており、ここに神社を置くことは、それに対して守りを固めるといった意味があったようです。
建立にあたっては、まず東京で、大国魂神、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)の『開拓三神』に、北海道開拓の成功と発展を祈願する神事が営まれ、それから三神のご神体が、函館経由で札幌へと移送された。当時の社名は『札幌神社』である。
昭和39年に明治天皇が祀られ、現在の名に改められた。末社の開拓神社には、樺太を探検した間宮林蔵をはじめ、北海道開拓における功労者が多数祀られている。
約18万平方キロメートルの境内には桜並木があり、春には花見客で賑わいます。また、6月の『札幌祭り』は、初夏の風物詩として定着しています。(北海道札幌市)

祭神 大国魂神(おおくにのたまのかみ): ご利益 北海道開拓 医薬守護 醸造守護

 

宮城県

鹽竈神社(しおがまじんじゃ) 全国で唯一の形式を持つ、海の神社。全国の鹽竈神社の本拠地。正面に左宮と右宮、その右手に別宮と、計三つの本殿をもつ。左右宮の拝殿は一体化しており、別宮の拝殿は独立している。この『三本殿・二拝殿』の形式は、他の神社では見られない独特のものであります。
左右宮には、式神である武甕槌神(たてかめつちのかみ)と経津主神がそれぞれ祀られ、別宮に、主祭神である鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)が鎮座する。
鹽土老翁の名は『潮の霊の長老』といった意味を持ち、その名のとおり、海を司る神さまであります。
社殿によれば、武甕槌神(たてかめつちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)が諸国を平定するため、高天原(たかまがはら)から地上に降臨した際、鹽土老翁神がその水先案内人を務めたとされる。諸国平定後、二式神は、それぞれの本拠地へ戻ったが、鹽土老翁神のみは塩竃の地に残って、人々に漁業や塩の製造法を教えたということであります。
(宮城県塩竃市)

 

祭神 鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)、武甕槌神(たてかめつちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)

ご利益 製塩業守護 大漁 延命長寿

 

栃木県

日光東照宮  一万二千本の杉林に囲まれ戦 国の覇者をまつる。うっそうとした杉林を抜けた先に、
東照宮に寄進するために植えたものであります。
境内は極彩色で絢爛豪華。陽明門や社殿が立ち並びます。柱や”はり”には眠り猫をはじめ多くの彫刻がほどこされ、それぞれが思想を表しているといいます。
徳川家康は死に際して『日光に小さなお堂を建てて、自分を神として祀れ。関八州を鎮守する』との遺言を残した。その遺言どおりに、1617年(元和三)に日光東照宮は創建され、戦国の覇者はついに神さまとなりました。絢爛(けんらん)たる建築群は、1636年(寛永十三)に三代将軍・徳川家光が造り替えしたことによる。一説によると『東照宮』とは、『東』の天照大神の『宮』という意味らしいのです。
伊勢神宮と同等を目指し、伊勢神宮に準じる神社になりました。(栃木県日光市)

 

祭神 徳川家康 : ご利益 開運招福 商売繁盛 家内安全など

 

茨城県

鹿島神宮  東国平定のため最前線だった森の宮。鹿島神宮一の鳥居は、北浦という湖のほとりに立っている。古くは軍港でもあった鹿島は水と緑の深い地であります。一の鳥居に先には、日本三大楼門のひとつで、水戸徳川家初代藩主・徳川頼房が奉納した楼門があります。楼門先の社殿は、深みのある美しさをたたえ、その奥には二十一万坪もある森が広がっています。
祭神の武甕槌大神(たてかめつちのおおかみ)は、『建御 雷 神』(たけみかづちのかみ)とも書き、経津主神(ふつぬしのかみ)とともに出雲の国譲りに活躍しました。その後、神武天皇の東征の際に、神剣を授けて手助けしたことから、神武天皇がこの神さまを祀るために鹿島神宮を創建したとされます。
鹿島神宮は藤原氏の氏神でもあります。中臣(藤原)の鎌足が常陸(ひたち)の国(茨城県)の出身だったためらしいのです。なお、武家からも崇敬を受け、剣道場などには、『鹿島大明神』『香取大明神』の掛け軸が並んでいることが多いのです。
(茨城県鹿嶋市)

 

祭神 武甕槌大神(たてかめつちのおおかみ)など

ご利益 開運招福 旅行安全 商売繁盛など

 

 

千葉県

香取神宮  鹿島神宮と深い仲で結ばれる軍神の宮。石段を登って総門から桜門へと進むと、朱塗りの鳥居が目に入る。本殿は時代を感じさせる色調だ。現在の社殿は元禄時代のもので、戦国時代に式年遷宮(しきねんせんぐう)が途絶えて以来、安土桃山様式を受け継ぎながら造り替えを行ってきたという。
香取神社の祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、出雲の国譲りに活躍した神であります。香取神宮は鹿島神宮と深い縁で結ばれ、鹿島神宮の祭神、武甕槌大神(たてかめつちのおおかみ)も祀られているうえに、この二神は、ともに春日大社に分祀されてもいる。ふたつの神宮の距離は、利根川をはさんで十数キロ。十二年に一度行われる香取神宮の式年神幸祭では、神社を出た神輿は、御座船に乗せられて、鹿島神宮の出迎えを受ける。
経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、軍神として考えられ、毎年の神幸祭では、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)の軍容を再現する。また、軍事を司った物部氏とも深い関わりがある。(千葉県香取市)

 

祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ):ご利益 家内安全 海上守護 良縁祈願など

 

 

埼玉県

氷川神社 『大宮』の代名詞ともいえる、武蔵国の一の宮。動物園やサッカー場などを含んだ大宮公園の一画にある氷川神社。大宮駅近くの一の鳥居から、2キロにおよぶケヤキ並木の参道が続く。彩の鮮やかな桜門を過ぎたところに広がる本殿は、対照的に重厚な趣を持っています。
『氷川』の名を持つ神社は全国に二百六十余りあり、そのうち百六十一が埼玉にある。確認されている分社の数は、二百二十で、ほぼ埼玉県とその周辺にしか存在しない。多くの分社を持ちながら、全国的な広がりが無いのが特徴的だ。
氷川神社の始まりは、出雲系の氏族、武蔵氏がこの地へ移住したことによる。
そのため祭神も、出雲にゆかりが深い。しばしば氾濫する荒川を、出雲の氾濫川『斐川・ひかわ・斐伊川・ひいかわ)に見立てた。水害も起こすが農業用水として恵をもたらしてくれる神さまとして祀ったのが、氷川神社であります。(埼玉県さいたま市)

 

祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)

ご利益 商売繁盛 出世開運 家内安全など

 

東京都

神田明神 江戸の表鬼門に鎮座する、東国の英雄。大通りの本郷通りを右に入ると、すぐに神田明神の鳥居が見える。左手に有名な甘酒屋を見ながらわずか百メートルほどの参道を進み、朱色も鮮やかな髄神門(ずいしんもん)をくぐる。『江戸総鎮守』にしては小ぶりな感じの境内が広がっている。
創建は、730年(天平二)といわれ、はじめは、現在の大手町にあった。主祭神に平将門が加えられるようになったのは、1309年(延慶二)のことである。たたりをなしていた御霊を鎮め、土地の守護神としたのである。教科書的には、天慶の乱((てんぎょうのらん)(930年)で朝廷に盾ついた賊軍とみなされるが、神田明神では、民衆のために関東一円の政治改革に命を賭けたヒーローとされる。1616年(元和二)に、江戸城の表鬼門の守護となる現在地に移され、江戸総鎮守にしていされた。
正式名称は、『神田神社』である。(東京都千代田区)

 

祭神 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと)
平将門(たいらまさかど)

 

ご利益 家内安全 商売繁盛 除災繁栄など

 

東京都

日枝神社 日枝=比叡。天台宗と深くかかわる江戸の大社。長い階段を上り、山の上の神殿にたどり着く。高層ビルが立ち並ぶ都会の中心だというのに喧騒が無い。境内には静かな時間が流れている。
明治以前は『日吉山王社』(ひよしさんのうしゃ)とも呼ばれた日枝神社。戦国武将・太田道灌が江戸城守護のために勧請した山王社を起源とする。
徳川家康が江戸城に入ってからは、城内の山王社を『城内鎮守の社』『徳川氏の産土神(うぶすなのかみ)』ちして崇めるようになった。
1607年(慶長十二)に江戸城外に移され、一般にも開放された社は、のちに江戸第一の大社となった。山王祭は、神田祭と双璧をなす江戸のお祭りとして知られ、将軍が上覧したことから、『天下祭り』とも称された。
祭神の大山昨神(おおやまくいのかみ)は、須佐之男命の孫であり、京都府・上賀茂神社の賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の父。山や水を司り大地を支配する神さまとされる。(東京都千代田区)

 

祭神 大山昨神(おおやまくいのかみ)  国常立神(くにのとこたちのかみ)ほか

 

ご利益 商売繁盛 家内安全 厄除けなど

 

神奈川県

鶴岡八幡宮 武家の棟梁が、精神的支柱として崇敬した神社。鎌倉駅から歩くとまもなく若宮大路へ出る。鶴岡八幡宮へまっすぐに続く、広くにぎやかな参道だ。二の鳥居を見て進むと、朱色の美しい社殿を見通せる三の鳥居にでる。一の鳥居は、反対側つまり由比ガ浜に近づいたあたりにある。
源氏の氏神は八幡宮である。鶴岡八幡宮は、源頼義が由比ヶ浜に石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を勧請したことにはじまる。それから117年後、源頼朝が由比ヶ浜の宮を現在地に移し、1191年(建久二)には上宮(本宮)と下宮(若宮)からなる現在の形に整備。関東の総鎮守とした。
源氏滅亡後も、北条氏や足利氏などからあがめられ、徳川家康をはじめとする歴代将軍も深く信仰したという。
現在の本殿は、1828年(文政十一)に、十一代将軍・家斉(いえなり)が造営したものだ。
静御前の舞殿や樹齢一千年の大銀杏(おおいちょう)なども有名である。(神奈川県鎌倉市)

 

祭神 応神天皇(おうじんてんのう) 比売神(ひめがみ) 神功皇后(じんぐうこうごう)

ご利益 家内安全 出世開運 無病息災など

 

 

新潟県

彌彦神社(やひこじんじゃ)万葉集にも名を残す『おやひこさま』。境内だけで4万坪の広さを持つ彌彦神社。石畳の参道の先にある二の鳥居をくぐり、さらに階段の上の随神門(ずいしんもん)を抜けると、蒼然とした巨大な神殿が出迎えてくれる。社殿の向こうには、霊峰・弥彦山がそびえている。創建年は不明だが、833年(天長十)には、朝廷指定のお祭りを行う神社に列せられている。
祭神の天香山命(あまのかごやまのみこと)は、別名を高倉下命(たかくらじのみこと)ともいう。
神武天皇が熊野で意識不明になったときに太刀を献上したのが高倉下命で、その剣、『韴御霊の剣』(ふつのみたまのつるぎ)の霊威によって神武天皇はすぐに意識を取り戻し、熊野の神々を倒したという。
弥彦山頂が『神剣峰』(みつるぎのみね)とも呼ばれるのは、功績のあった高倉下命を祀っていることによる。
その後、高倉下命は、この地を訪れて開拓と運営にあたり、漁業や製塩、稲作や酒づくりなどを教えたとされる。(新潟県西蒲原郡)

祭神 天香山命(あまのかごやまのみこと)

ご利益 家内安全 商売繁盛 交通安全など

 

 

長野県

戸隠神社 創建以来2000年=天岩屋戸伝説の神々が集まる社。標高2000メートル近くに戸隠神社の奥社がある。自然に抱かれた参道が二キロほど続き、杉林を抜けると最後に長い階段が待っている。
天手力雄命(あまのたちじからのみこと)をまつる奥社に並ぶように、虫歯の神としても有名な九頭龍社が建っている。
戸隠神社をなす、ほかの中社、宝光社、火之御子社は、もっと標高の高い位置にある。
戸隠山は、天照大御神がこもった天岩屋の戸口を、天手力雄命が下界に投げ落としてできた山と伝えられる。このときに、天照大神を岩屋からおびきだす戦略をねったのが、中社に祀られている天八意思兼命(あまのやごころおもいかねのみこと)。有名な踊りを踊ったのが、火之御子社に祀られている天鈿女命(あまのうづめのみこと)であった。
平安末期から修験道の聖地として知られ、江戸時代には、仏教色をさらに強めて門前町もでき、広く信仰を集めたという。(長野県長野市)

祭神 天手力雄命(あまのたちじからのみこと)ほか

ご利益 家内安全 商売繁盛 五穀豊穣など

 

(開運パワースポット 神社に行こう 神社の由来がわかる小辞典 神社と神さまがよくわかる本 参考 参照)

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