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暮らしの中の陰陽道

暮らしの中の陰陽道

七草や節分をはじめ、ひな祭り、、七夕、除夜の鐘に至るまで、これらの年中行事は、宮中で一年のうちの一定の時期に慣例として行われるようになった儀式がもとであり、この儀式が武家や民間に流れ、今日のようなスタイルをとるようになったと言われています。普及に貢献したのが民間陰陽師であります。そうした陰陽道の影響が強い現代にも受け継がれたさまざまな行事などを見ていきましょう。

 

七草

松の内が終わる1月7日の朝に七草粥を食べると、その年は病気知らずで暮らせると信じられています。
七草とは、セリ、ナズナ(ぺんぺん草)、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(だいこん)。
七草は、お正月のときの不摂生を、胃に優しいお粥でいたわろうという古人の知恵ですが、実はこのルーツも陰陽道にあります。七は七星に通じ、七草を食べることで、延命息災の効能があるとされていたのです。

 

どんどん焼き(陰陽道的呪術儀礼)

しめ縄や達磨、神棚を焚火にくべて、焼き納める風習があります。
これは、陰陽道系の左義長(さぎちょう)に由来しております。一年の災難を前もって焼き払うという意味があります。

 

節分(陰陽道の重要な祭り)

鬼に豆をぶつけて、邪気を払う節分は、二月の立春前日に行う節分は、陰陽道の重要な祭りでもありました。古くは節分を境に旧年と新年を分けておりました。新たな年を迎えるために、災厄や邪気を祓い、福を招く必要性から豆まきが行われたのです。
豆まきの風習は室町時代から始まりましたが、もとは中国から来た古代宮中行事の「追儺(ついな)」の儀式が起源といわれております。
疫病や災害を鬼に見立てて、桃の弓や蘆(あし)の矢で追い払うものでした。

 

恵方(えほう)幸運を呼ぶ方角

関西地方を中心に、節分には恵方を向いて太巻きを黙々と食べるという風習があります。
この「恵方」というのは、まさに、陰陽道の思想です。陰陽道の考え方には、方角にはさまざまな意味合いが込められております。その年の干支に基づいて、方角にも吉凶が生まれます。恵方とはその年の歳徳神(としとくじん)のいる方向、良いと決められた方角のことなのです。

 

ひな祭り 形代が発展した

三月三日のひな祭りは、女の子の幸せを願うお祝いとして知られていますが、これも陰陽道と深く関係しています。
陰陽道では、三月の巳(み)の日は邪気・不浄・穢れが襲う忌み日とされ、紙や土で作った形代(かたしろ)などに、体の穢れを移し、それを川や海に流して厄除けを祈願する、巳之日祓という儀式がありました。
この人形がだんだんと手の込んだひな人形となり、中世、上流階級の子女との遊びと結びつき、三月三日の桃の節句に取り入れられたというわけです。
今のような人形になったのは、江戸中期以降といわれています。

 

端午の節句 菖蒲で陰の気を祓う

ひな祭り同様に男の子の節句として行われる五月五日の端午の節句にも陰陽道の影響がみられます。
もともとは、道教の影響を受けた古代中国の疫病除けや長寿祈願などの行事が飛鳥時代に日本に伝わり、日本独自の風俗と混じり合って出来上がりました。五月五日にヨモギや菖蒲で身を清めるなどの行事は、陰の気を祓うとされており、六世紀以前の中国の書物にも見られます。
ヨモギや菖蒲は、陰の気を祓うとされており、健康と長寿を願う行事に用いられるようになったのでしょう。

 

芽の輪くぐり 名越の祓の代表行事

六月晦日(三十日)には、名越(夏越)の祓いを行うところも多くあります。疫神を和(なご)して祓うために、名越となったと伝えもあり、人形(ひとがた)に穢れを移して河川に流す地方もあります。
名越の祓で、芽の輪くぐりを行う神社も多いのですが、これは牛頭天皇が蘇民将来に教えた秘法とされ、疫病が流行ったときに、蘇民将来の子孫といって芽の輪をかければ疫病から逃れられると信じられるところから来ています。身に付いた邪気を祓い、今後、付かないようにする陰陽道の呪術とされています。

 

七夕 星辰信仰から生まれた

夜空を見てお星さまにご願い事をすれば、すべての願いが叶うと信じられている七月七日の七夕は、奈良時代に中国から伝わった儀式で、朝廷の行事に採用され、江戸時代以降、一般にも広く普及しました。
牽牛と織姫が天の川を渡り、一年に一度の逢瀬を楽しむというロマンチックな日として有名ですが、七夕は五節供のひとつで盆の前の禊(みそぎ)の日とされています。
「七夕送り」といって笹竹や供え物を翌日に川や海に流すのは、こんな日本古来の祓えの風習から生まれたものなのです。また、願いごとを書いた短冊を七夕の最後に燃やすのは、道教の儀式から来ています。

 

中元 陰陽道八朔(はっさく)のなごり

陰暦の八月一日のことを八朔(はっさく)といいます。
この八朔の日には、陰陽師は八朔礼というお札を作って禁中などに献上しました。八朔の日には贈答のやり取りをしる風習があり、これが今の中元になったとされています。

 

重陽の節句 菊で長寿を願う

陰陽道の思想に基づいて古来より中国では、一、三、五、七、九、の奇数を「陽」として、また、二、四、六、八、十の偶数を「陰」として、全てを判断していました。
この陽数の中でも、極数である九が重なる九月九日は最大の吉日とされ、いろいろな行事が行われ、重陽の節句も生まれました。この日には宴が催され、菊の花で作った餅や酒を口にしたそうです。
中国では、菊は延命長寿に効果があるという言い伝えもあったためと考えられます。平安時代に日本に伝わり、宮中行事として明治時代まで続いておりました。

 

除夜の鐘 百八つの煩悩を祓う

毎年、私はゆく年くる年を見ながら一年が終わり、始まるのを迎えます。大晦日の夜、12時になると、日本全国のお寺で一斉に除夜の鐘を突き始めます。百八つの鐘は、仏教の思想で百八の煩悩を意味しています。除夜の鐘を突くことで、これらの煩悩からの脱却をはかったのです。百八つの鐘の風習は、唐の禅僧・百丈懷海(ひょくじょうえかい)が制定したといわれ、日本へは奈良時代に伝わりました。
この仏教的な儀式が、旧年中の穢れや、厄を祓うという日本古来の『晦日の祓い』と結びついて除夜の鐘の風習となったと言われています。

 

十二支と六十干支(ろくじゅうかんし)

年賀状を書く時期になると、急に気になる十二支ですが、最近では干支というと、寅、卯(うさぎ)、辰(たつ)など、一文字で終わってしまうのですが、丙午(ひのえうま)をたとえてみれば「丙」が十千を表し、「午」が十二支を表しています。
この干と支の組み合わせが干支なのです。よって一九九九年の正式な干支は、「辛卯」(かのとうさぎ)ということになります。
この十二支はすべての時間が十二を単位として移り変わるとする古代中国の考え方から来ております。下の表のように、

十干
十干 音読み 五行 陰陽 五行陰陽 訓読み
こう 陽(兄) 木の兄 きのえ
おつ 陰(弟) 木の弟 きのと
へい 陽(兄) 火の兄 ひのえ
てい 陰(弟) 火の弟 ひのと
陽(兄) 土の兄 つちのえ
陰(弟) 土の弟 つちのと
こう 陽(兄) 金の兄 かのえ
しん 陰(弟) 金の弟 かのと
じん 陽(兄) 水の兄 みずのえ
陰(弟) 水の弟 みずのと
十二支
十二支 音読み 訓読み 五行
ちゅう うし
いん とら
ぼう
しん たつ
うま
ひつじ
しん さる
ゆう とり
じゅつ いぬ
がい

干支の組み合わせ(十干と十二支の組み合わせ)は60通りあり、六十干支と呼びます。これが一巡すると還暦となります。例えば、「甲」と「子」を組み合わせた「甲子」は、「こうし」、「かっし」または「きのえね」と読みます。

六十干支
番号 干支 音読み 訓読み 番号 干支 音読み 訓読み
1 甲子 こうし きのえね 31 甲午 こうご きのえうま
2 乙丑 いっちゅう きのとうし 32 乙未 いつび きのとひつじ
3 丙寅 へいいん ひのえとら 33 丙申 へいしん ひのえさる
4 丁卯 ていぼう ひのとう 34 丁酉 ていゆう ひのととり
5 戊辰 ぼしん つちのえたつ 35 戊戌 ぼじゅつ つちのえいぬ
6 己巳 きし つちのとみ 36 己亥 きがい つちのとい
7 庚午 こうご かのえうま 37 庚子 こうし かのえね
8 辛未 しんび かのとひつじ 38 辛丑 しんちゅう かのとうし
9 壬申 じんしん みずのえさる 39 壬寅 じんいん みずのえとら
10 癸酉 きゆう みずのととり 40 癸卯 きぼう みずのとう
11 甲戌 こうじゅつ きのえいぬ 41 甲辰 こうしん きのえたつ
12 乙亥 いつがい きのとい 42 乙巳 いつし きのとみ
13 丙子 へいし ひのえね 43 丙午 へいご ひのえうま
14 丁丑 ていちゅう ひのとうし 44 丁未 ていび ひのとひつじ
15 戊寅 ぼいん つちのえとら 45 戊申 ぼしん つちのえさる
16 己卯 きぼう つちのとう 46 己酉 きゆう つちのととり
17 庚辰 こうしん かのえたつ 47 庚戌 こうじゅつ かのえいぬ
18 辛巳 しんし かのとみ 48 辛亥 しんがい かのとい
19 壬午 じんご みずのえうま 49 壬子 じんし みずのえね
20 癸未 きび みずのとひつじ 50 癸丑 きちゅう みずのとうし
21 甲申 こうしん きのえさる 51 甲寅 こういん きのえとら
22 乙酉 いつゆう きのととり 52 乙卯 いつぼう きのとう
23 丙戌 へいじゅつ ひのえいぬ 53 丙辰 へいしん ひのえたつ
24 丁亥 ていがい ひのとい 54 丁巳 ていし ひのとみ
25 戊子 ぼし つちのえね 55 戊午 ぼご つちのえうま
26 己丑 きちゅう つちのとうし 56 己未 きび つちのとひつじ
27 庚寅 こういん かのえとら 57 庚申 こうしん かのえさる
28 辛卯 しんぼう かのとう 58 辛酉 しんゆう かのととり
29 壬辰 じんしん みずのえたつ 59 壬戌 じんじゅつ みずのえいぬ
30 癸巳 きし みずのとみ 60 癸亥 きがい みずのとい

 

十干と十二支を組み合わせると、六十年で干支が一巡りします。これが六十干支です。
中国宮廷の御用学者達は、歴ができてからしばらくすると、同じ年に生まれた人々に共通する個性があることに気が付きました。この考えは飛鳥時代に日本にも伝わり、今日まで伝えられたのです。

 

(陰陽道の本 など引用 参照)

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