氣の施術師だからこそわかる氣と心、健康的な人生を過ごしていくために大切なこと。少しずつお話しています。
陰陽道の由来(其の三)

陰陽道の由来(其の三)

天を仰いで星空を観て考察しました。普通、夜の星空が綺麗だという他に、何を思うのでしょう。
大宇宙の陰陽の風穴から中国の博士たちはもっと詳細に色々なことを理論付けしながら観測し始めたのです。

 

陰陽交合によって天界には太陽と太陰(月)が生まれ、さらに木星(歳星)火星(けい惑星)土星(鎮星)金星(太白星)水星(辰星)の五惑星が誕生したとしました。

これに呼応し地上にも『木火土金水』の五元素、『青赤黄白黒』の五原色、『春夏土用秋冬』の五季節、(四季)が発生し、北斗、南斗の両星座の位置から、『東南中央西北』の五方位が設定されたのです。

 

これらに共通する聖数の『五』は、言わずと知れたヤモリの体色の変化に由来する。『易』が(変化するもの)、(変化しないもの)を指すと言うのもここに淵源があり、『五行』の洞察もここから発したと言って良いです。五行の『行』とは、巡り回るという意味であり、陰陽から派生した、『木火土金水』の五気が、この順序で巡りつつ相互に影響し合う原理が五行説であります。

 

相互循環とは、
『木生火』=木は摩擦により火気を生じ、
『火生土』=燃焼は灰(土気)を生じ、
『土生金』=土は金属を埋蔵し、
『金生水』=金属は表面に水滴を生じ、そして
『水生木』=で水が木を育み、木は火を、火は土と化すことによって、自然の生態系は『相生』するのであります。

しかし反面では、
『木剋土』(もっこくど)=木は土中の滋養を奪い。
『土剋水』=土(塊)は水流を封殺し。
『水剋火』=水は火に勝り。
『火剋金』=金属も火には溶け。
『金剋木』=斧は木を倒す。
五気が相互に剋(殺)し合うのも自然の理であり、これを五行の『相生相剋』(そうじょうそうこく)というのです。

 

ただ、生のなかにも剋はあります。樹木が発火し続ければ森は滅びてしまいます。また、斧に倒された樹木も家や道具として再生するように、剋のなかにも生はあって、森羅万象は生死輪廻するのです。

植物の一生もまた然りで、発芽から枯死に至る段階は、『甲乙丙丁戊己庚辛壬癸』の『十干』(じっかん)の区別しうるでしょう。さらには、月齢周期十二、木星公転周期の十二、(厳密には11.8年)の引用から十二生物のありかたに、方位、時刻を配当する『十二支』、すなわち『子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥』が案出されたのです。

 

これら自然界の栄枯盛衰が、人間の吉凶禍福に投影されるのは当然であると言えます。自然界の仕組みから推して、きたるべき凶運や災禍を予知しあらかじめ回避することが出来たとしたらこんな有り難いことはないと誰もが思うでしょう。この気持が異常に強いのが中国人だったのです。
宇宙万有を八卦に当てはめて『易』を考え出されました。人生が思い通りになるように、災難や悪魔から護るため、相手を蹴落とすために『呪術)も考え出されたのです。

たとえば、古代中国の行事記録にとんでもない話があるのです。

12月には、12箇所ある都城門のすべてに、犬を磔にすべしとある。犬は、『金』気の動物であり、これを殺すことは、金気を殺して『木』を助けるのだという。つまり、『金剋木』(きんこくもく)の原理によって圧殺された木『陽』気を復活させるために、金『陰』気を駆逐して春を呼び入れる。春を送る際は、一二門中九門ぐらいに押さえればよいが、冬は一二門すべてを用い、寒気を追い払う。

犬好きにはことに耐え難い行事だが、これが先に述べた彼らの現実性なのです。自然の摂理は服従するためにあるのではなく、これを操作することによって、人間により有利に展開させようとするところが食えない民族なのであって、この性格はここまでみてきた天文学と呪術の関係にもよくあらわれております。
宇宙の元気タマゴから、陰陽五行の原理を発見した科学的精神はどこからきたのかといえば、神霊セックスにのけぞる女媧の股ぐらにほかならないのです。
女陰は生命創造の太元として、あらゆる民族が神聖視しました。古代インドのシャクティ(生殖能力または性力)崇拝はその最たるものであります。
ところが、中国人はそれを崇めるよりも、充血の度合いや速度を、『五行五色』とか、『十千一二支』とか、『八✕八=六十四掛』などなど、とにかく数値に換算しないと気が済まないのだろう。そして、算出したデーターを駆使する天文暦法と無限ともおもえる吉凶禍福の組み合わせで、大好きな数理をたのしむ占術を編み出したのです。

世界を原理的、構造的に把握する

陰陽道とは、陰陽五行説に基づいて、森羅万象の背後に秘めれれた世界の意味と動きを解読し、吉凶禍福を判じて未来を占い、人事百般の指針を得ることを目的とした思想と技術の全体を示すものであります。
陰陽道の歴史は『陰』と『陽』のせめぎあいの歴史であります。

日本にもたらした意味
日本の文化に占める仏教や神道の役割については、すでに、様々な角度からの研究が積み重ねられてきています。
また、近年では、そこに道教の研究が加わり、古代末期から中世にかけての神道、仏教(特に密教)、道教の習合を中核として、日本的オルカルティズム理論が形成されてきたことが、しだいに明らかになってきています。

しかし、神道、仏教、道教、あるいは儒教のいずれにも深く浸透し、陰に陽に影響力を行使し続けた陰陽道についての研究は、仏教や神道などと比較すると、はるかに乏しいのが現状であります。
今日、陰陽道は、占いと避禍招福(禍を避け福を招くこと)のための宗教儀礼・祭祀などを司る古代的な方術の一種と見なされることが多いのです。そしてそれは、間違いではないのであります。
しかし、このように理解してしまうと、陰陽道を通じて日本に導入された最も重要な要素が見落とされる危険があるのです。

 

日本オカルティズムにとっての陰陽道の意味は、いうなれば、その原理思考にありました。
宇宙を形成する原理、万物を貫いている”普遍的な記号”としての陰陽五行としての観念は、陰陽道が日本に導入したものであります。
天の星にも、地に満つ万物にも適応することができ、四方八方の空間、過去・現在・未来にわたる時間も、それだけで記述・説明できるという際立った特性をもつ、陰陽五行の記号体系は、それまでの日本には存在していなかったのです。
そこで、日本の古代文化は、この驚くべき叡智を利用して、神々の分類、性格づけを行い、帝都がおかれるべき土地を定め、天地の理にかなった日を選んで祭祓をおこない、天と地に現れる災異や瑞祥の意味を読み取り、運命を計算しました。


こうした個々の仕事は、たしかに陰陽師が受け持ったが、しかし彼らは、陰陽五行理論そのものに内在する普遍的な意味を、ただ、外界の事象に当てはめ適用していったに過ぎません。


それより遥かに需要なこと、それは、陰陽五行という”世界の原理”によって、日本文化の中にある様々な固有の要素までもが再構築され、新たに意味づけされたことにあります。


陰陽五行説の導入は、宮廷の儀礼や祭祓、政策などに少なからず影響を与えました。
神道もまた、古来の神々を五行に分類して、記紀神話のなかに整合的な宇宙発生論を持ち込もうとしたし、昔ながらの神祭を陰陽五行説に合わせて組み直すことで、それらを宇宙の秩序と合致させようと試みたのです。


ほかにも、陰陽五行説は、文化のあらゆるレベルまで浸透しました。日本文化を代表するものといわれている茶道や華道、各種の芸能、剣道などの武道のなかに陰陽五行説を発見するのはたやすいです。
こうして、いわば、日本文化の血となり肉となった陰陽道にまつわる思想が、日本オルカティズムの最も重要な骨格の一つとなっていったのであります。

(陰陽道物語、滝沢解、 陰陽道の本 引用 参照)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(Visited 98 times, 1 visits today)
error: Content is protected !!