安部晴明の呪術は師匠である賀茂忠行(かものただゆき)から直伝された。忠行は晴明に生まれながら備わっていた呪術力を見出し、自分の陰陽道の知識を『甕の水をうつすように』伝えたという。晴明がどのような呪術を使っていたのか史書に散見するエピソードから見ていこうと思う。
射復蔵鈞(しゃふくぞうきん)の術
『今昔物語集』には、晴明は幼い頃、師匠の加茂忠行と共に出かけた際に、偶然、鬼神と出くわした。通常人間の目には見えない鬼たちを発見したことで、難を逃れることが出来たとある。
中国では『鬼』は死者の霊を指す言葉である。日本に入ってから別の意味が加わったのだが、本来は目には見えない霊的なものなのである。
こうしたものを見る能力は陰陽師の修行を積んで身につけたというよりも、晴明の生まれ持った資質であったと考えられる。
晴明には物質の中身を見通してしまう力や、人の前世を視覚的にとらえる能力があったという。晴明はこの射復蔵鈞(しゃふくぞうきん)の術を天皇や公家たちの前で披露している。
晴明のライバルである蘆屋道満(あしやどうまん)から術比べの挑戦状を受けた晴明は、その際に木箱の中に入っているミカンを透視する。まず先に道満が透視し、見事に中身を言い当てたので、同じ答えをしては自分の勝ちは無くなると思った晴明は、中のミカンをネズミに変え、素知らぬ顔でネズミが入っていると答え、勝利した。
また、長く慢性の頭痛で悩んでいた花山天皇を見舞った晴明は、頭痛の原因は天皇の前世にあると指摘する。花山天皇の前世は大峰山で修業していた行者であり、その亡骸(なきがら)が、岩の間に挟まったままになっていると透視し、その亡骸を見つけて供養すれば頭痛は治ると伝える。重人たちが行ってみると、はたして岩の中に髑髏(どくろ)が挟まっていた。それを取り出して供養すると天皇の頭痛も治まったという。
反閇の術(はんぱいのじゅつ)
反閇とは、一種の歩行呪術であり、道中に災いをなす霊体に出会わないため、または調伏(ちょうふく)するために行う呪術である。
安部晴明は天皇や皇室関係者のためにこの呪術をたびたび行っていた。この呪術は古代中国において、修業の際に行神(ぎょうしん)という神様に無事に旅することが出来るように祈願する。一種の祭祀儀式が起源となっている。
漢代では、君子が長期にわたる旅行に出る前には、必ずこの行神(ぎょうしん)を祀り、東または南方向に出掛けるときには道の左側に、西または北方面に行く際は右側に祀るようにしていたという。この際に旅人は兎歩(うほ)という独特な歩き方を行い、その場を清めたのである。
行神の姿が兎(うさぎ)であると思われていたことからこのような儀式が生まれたのだが、このとき、『あえて申し上げます。どうか私の旅行が無事でありますように、そのため先に兎のために道を清めましょう』と唱え地面に五画の印を書き、その中央の土を拾って懐の中に入れてから旅立ったのである。この五画の印は晴明桔梗印と同じ星型であったという説もある。
この反閇の術の作法、つまり歩き方は種類も豊富であり、祭祀や呪法の儀式を行う予備段階として場の浄化を目的として行われていた。なかでも北斗七星の形に歩行していく作法が尊重されていたらしい。
歩き方は継足といい、呪文を唱えながら先に出した足に後ろの足を引き寄せるようにするのだが、これによって凶を踏み抜いて、吉を呼び込むという。相撲で四股を踏むことや歌舞伎の六方・ろっぽう(荒事芸のひとつであり、歩く動作を様式化したもの)も同じ意味合いで行われているのだ。
隠形術(おんぎょうじゅつ)
他者から自分の姿を見え無くし、相手に自分の気配を気づかせないようにしてしまうのが隠形術である。安部晴明はこの術を師匠である賀茂忠行から伝授されたが、逆にこの術で師匠である忠行を鬼神の魔の手から救った話が伝わってくる。
この術は道教や密教にもあり、陰陽道では鬼気祭り(鬼神の祟りを祓う陰陽道の祭祀)という祭祀として応用され行われることもあったという。
藤原実資(ふじわらさねすけ)の日記『小右記・しょううき』によると、安部晴明の行う鬼気祭りはとても効験があったようで、鬼神の祟りを受け病に臥せていた藤原実資の娘を救っている。
隠形術のルーツは中国道教のなかに見出される。この術に関していえば、特殊な仙薬を飲むことで、姿を隠すことができたと言われている。この隠形術の中には自分の姿をカメレオンのように周囲の景色に同調させて、相手を錯覚させて気づかれないようにする術や、暗闇の中でも視力が落ちないようにする術も含まれていたという。今に時代でいえば感覚は映画のプレデターであろう。
これらに術は日本の忍者が扱う忍術と似ている面が多々ある。微塵隠れ(みじんがくれ)の術といって煙幕を張り、相手から身を隠す術などはこの隠形術の応用と考えられる。
埋鎮の術(まいちんのじゅつ)
安部晴明は藤原道長(ふじわらみちなが)を呪うために地中に埋められていた厭物・まがもの(相手に呪いをかける物)を発見し、藤原道長の難を救ったことがある。
ある日、藤原道長は散歩の途中、法成寺の境内に入ろうとしたところ、連れていた愛犬が執拗に吠え出した。その尋常でない反応に困惑し、安部晴明を呼び出したところ、晴明は地中に呪いのかけられたものが埋めてあると指摘する。掘ってみると土器を二つ重ね合わせて、黄色い紙で十文字に縛られているものが見つかった。それをほどくと朱砂(すさ)で呪いの一文字が書かれていたのである。
晴明はこれを見て呪詛(ずそ)のために埋められたものであり、犯人は蘆屋道満であると予見し、これは見事的中した。道満は藤原顕光(ふじわらあきみつ)より、道長呪詛を依頼されていたのである。
このような術は本来、『埋鎮の術』といわれ、土地の穢れ(けがれ)を清めるために行われたり、地縛霊を封じるために用いられる呪術であるが、この件では逆に悪用されたのである。
呪術を施して、怨念を込めた厭物(まがもの)である漆器や土器、陶器などを地中に埋めておき、その厭物が埋めている地面を踏んだ人物に対して呪いを発動させるという。この時は安部晴明の霊力によって厭物が感知され、呪いの発動を未然に防ぎ、道長の命は救われたのである。
厭物(まがもの)の材料としては、土器や陶器の他に鏡や瓶、銭なども使われ、それらには呪術的意味を持った梵字(ぼんじ)などが記されていた。
土地を清めるためなど良い意味で行う場合は、使用する土器には『一』、『大福』、『宅』、陰陽道の神『北斗星君』を意味する『北』などという縁起の良い文字が書かれたという。
遁甲隠行(とんこうおんぎょう)の術
即席の結界を張り、範囲内のものを悪魔の目から隠すことができます。
人間や機械などには効果がありません。
相手が積極的に探そうとしている場合、あるいは隠されたものを見つけ出す呪術などを使用した場合にのみ、視覚判定やそうした呪術などと《遁甲隠行》で即決勝負を行います。隠れている者が「偶然に」見つけられることはありません。
隠れている者が移動したり声を上げたりすると、この呪術の効果はただちに途切れてしまいます。
封殺(ふうさつ)の術
償物紙1枚を用い、その中に悪魔や霊体を封印します。紙が破られたり、燃やされたりすると悪魔はふたたび解放されます。
完全な肉体を持つ悪魔、造魔、悪魔人などに対しては無効です。また、術者の霊格以下の悪魔に対してしか効果がありません。
幻蝶戯在(げんちょうぎざい)の術
小さな物体に幻影を「かぶせて」、見た目や音、触った感じを別のものに見せかけることができます。
幻覚の下にあるものが動かないかぎり、幻覚も動くことはありません。
生物にこの呪術をかけることはできません。幻覚は知的生物による「不信」によって破ることができます。
物精戯在(ぶっしょうぎざい)の術
花や枝、葉などを使い、小動物やある程度の大きさ(5cm程度)の虫などを生み出します。
この呪術の素材となるのは「精」、すなわち「生」のあるものでなければならないため、枯れ葉や紙切れなどを使用することはできません。償物紙だけは例外的に使用することができます。
生み出された生き物は術者の思ったとおりに行動し、軽く意識を向けることで感覚を共有することができます(このとき術者の知覚や行動に-2)。1点でもダメージを受けると、小動物はもとの物体に戻ります。
陰陽道に関する知識を持つものは、視覚判定による即決勝負でこの呪術のレベルに勝つことで、それが作られた生命であることを見抜くことができます。
爪弾き(つまはじき)の術
念を指先に集めて弾いて音を出すことで、まさに届かんとする魔法的な影響を相殺します。
呪術や魔界魔法、「呪い」の増強を施した「特殊攻撃」や「特殊効果」といった攻撃を受けた瞬間に使用し、
それらの攻撃の成功度を上回れば、その効果を完全に打ち消すことができます。
この呪術は防御呪文として使用しますが、他のキャラクターを守るためにも使用できます。
その場合、通常呪文と同じペナルティを受けて判定してください。この呪術で守ることができるのは1人のキャラクターのみであることに注意します。