陰陽思想とは、
(右の図は陰陽思想を表したマークです。)
陰陽思想(いんようしそう)…宇宙のあらゆるものごとを、陰と陽の2つのカテゴリーに分類する考え方であります。禅や道教などにも影響を与えている陰陽思想です。
日本では「陰陽道(おんみょうどう)」と呼ばれていますが、もともと道徳の根元の天と人の一体を説く古代中国思想で、漢方などの医学にも色濃く残っています。
これは、宇宙全体が陰と陽からなり、相反する特性を持ちながら互いに循環・融合・変化し、相対する二極が調和される事によって自然界の秩序が保たれているとされるものです。
陰陽という概念は、きわめて古くからあり、易経という書物が、これをまとめた有名なものです。説では伏羲という中華民族黎明期の帝王が記した、とされています。
陽は、昼間、物事の表側、会話すること、強さ、君主、男性的といった分類のものであり、
陰は、夜間、物事の裏側、黙ること、弱さ、臣下、女性的といった分類を指します。
例えば、陽は昼、男、火、南、表、善、生。これに対する陰は夜、女、水、北、裏、悪、死となります。
この思想が五行説と融合され陰陽五行説が完成しました。
「陰」という属性を持つ気と、「陽」という属性を持つ気が対立していて、2つの気の作用によって、万物への影響を与えるという思想です。
もともと、陰と陽は天候に関する言葉でしたが、季節や気候に関する要因として扱われていました。
五行思想とは
五行思想(ごぎょうしそう)…万物が木・火・土・金・水の5つの元素(行)のみでできているという考え方なのです。
5種類の行が、影響を与えあいながら、天地万物が変化して、循環するという思想です。
この思想の原型は遥か昔、神話時代に中国で数の原理で人間の構成要素として存在していました。
今の思想に体系付けたのは、春秋戦国時代の趨衍(すうえん)と言われています。
五行とは、森羅万象が「木・火・土・金・水」の5要素からなる思想なのです。
五行の五は木・火・土・金・水の五気、行は五気の関係や推移を意味しています。
暦などの元にもなっていますので、五行に「日」「月」を合わせると曜日になりますね。
五行は陰陽説と結びついた結果、木気は最も陽で水気は最も陰、土気はちょうど中間の状態に分類されました。
また、それぞれの要素には相性があります。それが相生と相剋です。
西洋の四大元素節(熱・冷・湿・乾)と比較されます。
春秋戦国時代に中国の陰陽家により体系化され、陰陽思想と一体化しました。
陰陽五行は、中国の自然哲学として生まれた思想です。
元々異なる2つの思想(陰陽思想・五行思想)が合わさり、宇宙で起こるすべての現象の誕生や変化、消滅というような循環する考えが誕生しました。
陰陽五行思想
五行と陰陽が融合され陰陽五行説となりましたが、相性が存在します。
相生はポジティブな関係、相剋はネガティブな関係です。
それを現実のものを当てはめて考え、不幸を遠避け、幸運を招くのがその根本となっています。
木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず
■五行相剋(緑矢印)
水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ
なお、相生と相剋の関係を図にすると、円にいわゆる「五芒星」が出来ます。
陰陽道のシンボルはここから来ているのです。
この陰陽五行思想は、中国の宗教「儒教」「仏教」「道教」に取り入れられています。
陰陽五行思想は、古代日本にも伝えられました。飛鳥時代に誕生した占いや天文学などを取り扱う機関「陰陽寮(おんみょうりょう)」では、陰陽師が任命され、神道の祭祀をつかさどりました。
そして、平安時代になると、自然現象を「祟り」ととらえた平安貴族の考え方に合わせ、独自の「陰陽道」として体系化され発展していきました。
現在でも、水引き、漢方などのアイテムや、七五三などの伝統行事の背景に、陰陽五行の影響が強く残っています。
陰陽五行思想を元にした占いが、陰陽五行占いです。
そして、それを元に、現代では日本で四柱推命(しちゅうすいめい)が生れました。
最近では、四柱推命を簡単にした陰陽五行診断というものもあります。
陰陽という概念は、きわめて古くからあり、易経という書物が、これをまとめた有名なものです。説では伏羲という中華民族黎明期の帝王が記した、とされています。
陽は、昼間、物事の表側、会話すること、強さ、君主、男性的といった分類のものであり、
陰は、夜間、物事の裏側、黙ること、弱さ、臣下、女性的といった分類を指します。
この陰と陽は互いにバランスをとりながら存在するもの、と定義されています。
また、こんな基本もあります。
陰が極まれば陽に転じ、陽が極まれば陰に転じる。
ブログを書きまくる、仕事しまくる(陽)と、ネタが尽きて、仕事も行き詰まり(極まり)、お休み期間、停滞(陰)に入る(転ずる)
会議の間、目立つまいと黙っていたが(陰)、ついに我慢できなくなり(極まり)、口を開き(陽)、考えを述べた(転じた)
どこぞの国は、平和な時代に蓄えた(陰)、兵器の在庫が一杯になると(極まり)、戦争(陽)を始める(転ずる)
難解そうですが、簡単でしたね。陰陽の考え方を根本にして、何にでも適用できてしまうため、
昼夜の陰陽で一日、月の満ち欠けの陰陽で一ヵ月、春夏秋冬の陰陽で一年と定義することで、太陰暦が生まれました。
後に元の時代、郭守敬という学者の実験で夏至や冬至が定まり、一年の陰陽の境目が正確に定まりましたということです。
(一年間の、日時計の影の長さを測ったのです)
さらに、数字の起源が不明の、古代の謎ですが、
古く夏の時代から、10を一旬とする単位が存在し(指の本数とか?)し、
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10進数と、陰陽が紐付けられました。こんな感じに。
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
陽陰陽陰陽陰陽陰陽陰
また、12を一周期とする干支の単位があり(一年間の月数?)、
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の12進数を一刻として一日の時間を刻みました。
午前、午後の午はウマの刻のことですね。干支も下の様に陰陽と対応しました。
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
陽陰陽陰陽陰陽陰陽陰陽陰
この10と12の公倍数60を用いた周期を干支と呼んで、これで年数を数えることにしたのです。
ヒノエウマ(丙午)年生まれ、とか言われますね。十干の丙と、干支の午を合わせただけです。
人間の生まれ年に陰陽の性質や漢字の意味が付いてしまうと、人は何を考えるでしょうか?
そうです。『易』占いなのです。
ここに民間信仰の九星術が合わさり、気学や風水が発生したのです。
九星術を取り入れた占いは、遥か昔、弘法大師のような高僧や、竹中半兵衛のような軍師が持つ秘技だったそうです。気を読むことで運気の周期がカレンダーにとして作られて折りました。
(アマテラスチャンネル49、Arafoniseの部屋、参照)