清明の母で狐の化身だといわれている『葛葉姫像』
幾多の伝説の中で人並外れた能力で勇名を馳せた人物、平安時代の高名な陰陽師、安倍晴明は、神のような超人的な活躍をしてきた。
陰陽師でも第一人者である。
清明はその呪術力で式神を操り、また、未来を予言したという。
しかし、生まれや育ちが明らかになっていないのだ。
清明の母親は狐だったと語り継がれている。『こいつは本当に人間なのか』とも考えたこともたくさんあった。これほど謎と伝説につつまれた人物も珍しいのではないだろうか。
安倍晴明は、稲荷の狐が化身した女性(葛の葉)と人間の男性との間に生まれた子として、伝わる。
『葛の葉伝説』と呼ばれ、江戸時代には、『蘆屋道満大内鑑』(通称『葛の葉』)などと題されて人形浄瑠璃や歌舞伎でも広く演じられた。
この『葛の葉伝説』ゆかりの社は、大阪市和泉市の信太森葛葉稲荷神社(しのだもりくずのはいなりじんじゃ)や大阪・京都の安倍晴明神社が有名である。
物語
千年あまりも前、今の大阪市阿倍野の里に住んでいた安倍保名は、父の代に没落した家の再建を願い、信太守葛葉稲荷神社(しのだもりくずのはいなりじんじゃ)に日参していた。
ある日のこと、稲荷の境内で保名は葦屋道満(あしやどうまん)の弟、悪右衛門達、数人の狩人に追われた一匹の白狐を助けたが、手傷を負ってその場に倒れてしまった。
命を助けられた白狐は葛の葉という美しい女性に化け、保名を介抱して家まで送りとどけ、その後も保名を何度も見舞った。
やがて、互いの心が通じ合い、夫婦になり童子丸という子供をもうけた。
しかし、その子が五歳の時、ふとしたことから、葛の葉『母親)の正体が狐であることが露見して、狐は泣く泣くその子をおいて信太の森へ帰ったという。
別れ際に葛の葉が夫と子に、口に筆を咥えて障子に書き残したというのがこの一首。
『恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉』
その時残された子(童子丸)が、あとの陰陽師、安倍晴明だと伝わる。
これは、浄瑠璃の『したのづまりぎつね 付 アベノ清明出生』(延宝二年刊)に記されているエピソードである。
語り継がれた清明の神秘的な生涯は人間である安倍保名と白狐である母、葛の葉との間に生まれたところから始まる。
『土御門家記録』には、安倍益材(あべのますき)という人物が、清明の父親として登場する。
保名は伝説上の人物で、益材が実在の人物とされることが多いのだが、益材については家系図以外では語られることもなく、一方、保名が実在の人物だったという説もあり、大阪府能勢町には保名の碑が建っているなどその真偽も明らかではない。
また、母親に関してはその他の記録や古文書を探しても『狐であったこと』以外、何も伝えられていないのだ。
しかし、これは当時の時代背景から考えると母親の名前さえ残っていないことは、系図には女性の名前は載せなかったのが普通だったのだ。
天皇の妃になって、息子を産んだというのなら話は別だが、そうでなければ、女性は単に『女』と書かれるか、あるいは、存在自体を省略してしまう。
早い話が、平安時代の有名な才女として知られる清少納言や紫式部にしても、本名は伝わっていない。だから、よほど高貴な生まれでもない限り、清明の母親がわからないのは、当然なのだ。
しかし、ヒーローの出生には、秘密がつきものであり、安倍晴明も例外ではないのだろう。
青年時代の安倍晴明
中年期以降、陰陽師となってからの華々しい活躍から比べると青年時代の若いころのエピソードがあまりわずかしか無い。そのひとつが、『今昔物語』に収録されている。
清明が加茂忠行(かものただゆき)のもとで修業していた若き日のことである。
ある晩、晴明は師の供をして車の後ろを歩いていた。
師の忠行は車の中で寝入っていた。すると、恐ろし気な鬼どもが車に向かってやってくるのが見えたので、晴明は驚き、慌てて車に走り寄って、師の忠行を起こした。忠行は鬼どもが来るのを見て、自分と供の者たちの姿を術法で隠し、何事も無く通り過ぎることができた。
この出来事があってから、忠行は晴明を身辺から離さず、自分の知っている陰陽道の術をすべて教えたという。
もう一つは、『績古事談』の短い挿話である。
清明が大舎人(おおとねり)だったとき、笠をかぶって勢田橋を通りかかるのを見て、慈光という者が、卓越した資質を見抜き、晴明にそのことを告げた。
そこで、晴明は具曠(ともひろ)という陰陽師のもとに行ったが、相手にされなかったので、賀茂保憲(かものやすのり)のところへ行った。
保憲は、清明の人相を見て、丁重に扱ったという。
ヒーローの誕生
清明が『神様』になったのは、鎌倉時代以降、安倍家(土御門家)が政治権力と結びついて陰陽道を独占支配するようになったせいもあるが、それ以上に大きな要因は、民衆の想像力だろう
神様=ヒーローの活躍の場としては、文字よりも芸能の世界の方がよりふさわしい。古浄瑠璃や義太夫(ぎだゆう)などの大衆芸能の世界に取り入れられた安倍晴明伝説は、歴史的事実を無視して、縦横無尽の広がりを見せる。
その中から、大筋、以下のようなストーリーが作り上げられていく。
時の天皇が中国の秘書『簠簋内伝(ほきないでん)』を手に入れるため、安倍仲磨(あべのなかまろ)を唐に派遣する。
ところが、奸臣(かんしん)たちの妨害にあって、仲磨はその使命を果たせぬまま憤死し、鬼(亡霊)になってしまう。仲磨が帰国しないので、今度は吉備真備(きびのまきび)が唐に遣わされることになる。
真備も奸臣(かんしん)たちに無理難題を吹っ掛けられるが、亡霊の仲磨の助けを借りて、見事に試練を突破し、『簠簋内伝(ほきないでん)』を手に入れて帰国することができた。
真備は亡霊の仲磨の恩を忘れず、この書は仲磨の子孫に伝えられるべき、と遺言して亡くなる。
それから二百年後、仲磨の子孫である安倍保名が、吉備真備(きびのまきび)の子孫である賀茂保憲(かものやすのり)のもとに弟子入りする。保名は、陰陽師として頭角を現し、保憲の娘である葛子姫(くずこひめ)と恋仲になる。
ところが、保憲は讒言(ざんげん)にあって、娘とともに流罪にされてしまう。師とも恋人とも引き離された保名だったが、そこへ、ある日突然、葛子姫(くずこひめ)が訪ねて来て、保名と夫婦の契りを結ぶ。
二人の間には男の子が生まれ、幸せな暮らしが続いた。
しかし、実はこの葛子姫(くずこひめ)は人間ではなく、かつて保名が命を助けてやった信太の森の狐の化身だった。
やがて、流罪を解かれた保憲と本物の葛子姫(くずこひめ)が戻ってくると、狐は子供を置いて、泣く泣く森へ帰っていく。
この狐の産んだ男の子こそは、のちの安倍晴明である。・・・・という訳だ。
この伝説の中では、清明の父は安倍益材(あべのますき)ではなく、保名とされ、安倍御主人ではなく、安倍仲磨(あべのなかまろ)の子孫ということになっている。
無論、正史のうえでは、安倍晴明と安倍仲磨の間に血縁関係はないし、真備と仲磨は同じ遣唐使一行に加わっているので、真備の前に亡霊の仲磨が現れることなどありえない。
また、賀茂氏が吉備真備(きびのまきび)の子孫だという説が誤りであることは、『国史大辞典』等にも記載されている。保憲の六代前の先祖に、播磨守兼按察使賀茂朝臣吉備麻呂(はりままもりけんあぜちあそんくびまろ)という人物がおり、この人物が吉備真備(きびのまきび)と混同されたようだ。
さらに保憲は清明の四つ年上だから、どう考えても、清明の父親の師匠になれるはずはなく、ましてや、保憲の娘と保名が結婚できるわけはない。
ただし、伝説にも一片の事実は含まれている。
例えば、賀茂保憲には実際に娘がおり、優れた歌集を残している。この娘と清明の間に何らかの接点があったことも、まったく考えられない訳ではない。
相手が師の娘なら、御簾(みす)越しに言葉を交わすくらいのことは、あってもおかしくなかっただろう。