私の好きな空海の話の中で、『虚空蔵求聞持法』は特に気に入っている話である。
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)というのは、「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩・虚空のように無限の功徳を持つ」という意味である。
そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。
その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。
密教でいう五智如来、五大如来ともいい、密教で五つの知恵(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)をを5体の如来にあてはめたものである。金剛界五仏とも云われる。
大日如来・(中心)、阿閦如来【あしゅくにょらい】「閦」は門の中に人が3つの众)(東方)、薬師如来(東方)、宝生如来(南方)、阿弥陀如来(西方)、不空成就如来(北方)、の如来様である。曼荼羅が
五大虚空蔵菩薩とは、虚空蔵菩薩のみ5体を群像として表したものである。虚空蔵菩薩の五つの智恵を表す「五智如来の変化身(へんげしん)」とも言う。息災・増益などの祈願の本尊にもなっている。
5体の名称、方位、身色は次の通りである。
- 法界(ほっかい)虚空蔵(中央、白色) – 白は解脱を意味し、迷いを解き払う仏様
- 金剛虚空蔵(東方、黄色) – 財産や幸福をもたらす仏様
- 宝光虚空蔵(南方、青色) – 願い事を叶えて満足させてくれる仏様
- 蓮華虚空蔵(西方、赤色) – 願い事に関して施してくれる仏様
- 業用(ごうよう/ごうゆう)虚空蔵(北方、黒紫色) – 穢れを離れて清浄な仏様
空海の出発はまず暗記することだった。宝亀五年(774)、讃岐生まれの空海は、東大寺受験に備えて内外の典籍、それこそ千万巻を読破しなければならなかった。
まあそこまでしなくても、ソコソコの坊主にはなれよう。だが、それで満足する青年ではなかった。まして十代から二十一歳の血気みなぎる時期に、一の沙門・勤操(ごんそう)からこの秘法を教わった。
『聞持の法』というのは記憶術である。『虚空蔵求聞持法』ともいい、習得したものを決して忘れない能力がそなわるという。
虚空蔵菩薩を信仰すれば、記憶力が増大・受験必勝のご利益ありと謳って(うたって)いるのである。空海がこれを修したことが、24歳の処女作にみえるのだ。『此処に一つの沙門あり。我に虚空蔵聞持つの法を示す。其の経に説かく、「若し人、法に依って此の真言一百万遍を誦すれば、即ち一切の教法の文義暗記することを得」。ここに大聖の誠言(じょうごん)を信じて飛えんを」
よし、やってやろう。彼は知識欲と共に好奇心のあふれる青年であった。そこで出身地にほど近い阿波大竜岳や、土佐室戸崎で、火の出るような猛特訓をしたとある。
修業は実際ハンパではなかったに違いない。岩場をよじ登り、滝つぼをくぐり、あっちの洞窟、こっちの草藪で印を結び、真言を繰り返す。『峰駆け』は文字通りの難行苦行で、全身傷だらけである。
しかも『ナウボウアカシャキャラバヤオンアリキャマリボリソアカ』、これを百箇日、百万回ぶっ通し唱えれば、しまいに声の代わりに血を吐く。
そのときだ。血まみれの口に何か入った。
『土佐室戸崎に於いて目を閉じて之を観ずれば、明星(みょうじょう)、口に入って仏力の奇異を現ず。』(『空海僧都伝』)
またいう。
『心に観ずるとき、明星口に入り、虚空蔵の明光照らし来って菩薩の威を顕し、仏法の無二を現す。』(『御遺言』)
これは後の伝説だ。仏力だとか、菩薩の威とか、そんなことはどうでもいい。空海本人は、『明星来影す』としか記さず、あの能弁が絶句しているのである。
青年に何が起こったのか?
研ぎ澄まされた光の矢が、血の池と化した喉笛を射して貫く、そのとたん、青年は暗記するどころか何もかも忘れてしまったのだ。
完全な無。完全な虚空。広大無辺の海原に青年はいた。この世でもあの世でもない光の海に青年はいて、すい先刻までの感覚を忘れた。
『無我の中に大我を得。』(『吽字義』)
これが虚空蔵か。暗記とは忘れること、空になることだった。
いらい青年は『空海』と号し、迷わず空の海へ飛び込んでいったのである。この修行で以降、『空海』というように
皆に呼ばせたらしい。