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弘法大師 空海

弘法大師 空海

空海の肖像(真如様大師)

私も最も尊敬している師である、空海のことをもう少し記しておこう。

まず、Wikipediaによると、空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月22日〉)は、平安時代初期の僧と記されている。

弘法大師(こうぼうだいし)の諡号しごうで知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお
真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日とするが、これは中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承によるもので、正確な誕生日は不明である。

 

日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭(へきとう)に位置し、中国より真言密教をもたらした。
能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。

 

空海は『雨を降らす男』だという。
大同元年(806)、帰朝した空海が宮中神泉苑に五竜を勧請し、『大雲輪請雨経』を修して盛大に雨を降らせ少僧都に任ぜられたという(『高野大師御広伝』)。

もしも空海に『真言密教』がなければ、道鏡の三十四年後またまた新手のペテン師が現れて宮廷にとりいったとういう話になってしまいそうだ。
手に印契を結び(身密)、口に真言を唱え(口密)、心に仏を観想(意密)すれば、宇宙根本の大日如来の悟りを得て、『即身成仏』にいたるという。
『三密加持』の実践を唱える真言密教は、その呪術性ゆえに、思想としてよりもおどろおどろしい新興宗教として人の眼に映ったに違いない。

 

奇跡譚(きせきはなし)は雨のみにとどまらず、空海の行くところ温泉が湧き、鉱脈が発見される。こうした幾多の伝説をみると、空海自身このんで魔術師のマントを羽織ったとみえる。
その行動が、弘法大師、高野大師と親しまれていた反面、山師呼ばわりされることも多かった。

 

近世の熱烈な神道学者・平田篤胤(ひらたあつたね)などは、空海を天狗道の大怪魔といい、『かつて漢籍にもみざる大日仏という仏名を偽作し、翻して、摩訶毘盧遮那経(まかびるしゃなきょう)を大日経と訳し、その本縁に、かしこくも天照大御神を、おのれが偽名の大日仏と、人の思い粉(まご)うべき幻影を巧み出し』たと攻撃している。(『古今妖魅考』)。

 

ちなみに、『魔訶』は、梵語(maha)の音写で『大』を意味し、『毘盧遮那』(vairocana)は、『日』(太陽のようにあまねく照らすもの)、これを説くのは『華厳経』であり、両者はもとより同体なのだから、偽作、偽名にはあたらない。

また、平田のいう『本縁』とは、宇宙根本の体現者である仏(本地)が、民衆を教導すべく仮に神として迹(あと)を垂れた(姿を変えて現れた)とする『本地垂迹説・ほんじすいじゃくせつ』であって、これも空海よりはむしろ、神を未だ解脱(げだつ)に至っていない存在と位置づける仏教そのものへの憤漑(ふんがい)である。

ただ、『真言密教』の呼称は、梵語ではなく空海造語である。
最も近いとされるのは、『金剛乗・こんごうじょう』(vajramahayana),
金剛石のように堅く、不変不壊の教えという意味だ。

 

空海はこれを『秘中の極秘』という。

『顕教・けんぎょう』(一般仏教)は文字によって教えを明示しうるが、これを超えた秘密仏教は、いかに言葉をつくそうと解き明かせるものではないという。平安仏教を一色に塗りかえてしまった大妖魔の極秘とは何なのか。
とにかくのぞいてみることにしよう。

 

密教系の寺を訪ねると、本堂入り口あたりに『能満諸願海』などと記した額が掲げてあるのをよく見かける。
これは、『虚空蔵求聞持法』にちなんだ文言で、ここの本尊・虚空蔵菩薩を信仰すれば、記憶力増大、受験必勝のご利益あり、と謳(うた)っていたのである。じつは空海もこれを修したことが、二十四歳の処女作にみえる。
『ここに一人の沙門在り。余(われ)に虚空蔵聞持の法を示す。其の経に説かく、『若し人、法に依って此の真言二百万編を誦すれば、即ち一切の教法の文義暗記することを得』。ここに大聖(だいしょう)の誠言(じょうごん)を信じて飛燄燄(ひえん)を鑚燧(さんすい)に望む。』(『三教指帰』)

 

空海の出発はまず暗記することだった。

宝亀五年(774)、讃岐生まれの空海は、東大寺受験に備えて内外の典籍、それこそ千万巻を読破しなければならなかった。
まあそこまでしなくても、ソコソコの坊主にはなれよう。だが、それで満足する青年ではなかった。まして十代から二十一歳の血気みなぎる時期に、一の沙門・勤操(ごんそう)からこの秘法を教わった。

『聞持の法』というのは記憶術である。『虚空蔵求聞持法』ともいい、習得したものを決して忘れない能力がそなわるという。

よし、やってやろう。彼は知識欲と共に好奇心のあふれる青年であった。そこで出身地にほど近い阿波大竜岳や、土佐室戸崎で、火の出るような猛特訓をしたとある。
修業は実際ハンパではなかったに違いない。岩場をよじ登り、滝つぼをくぐり、あっちの洞窟、こっちの草藪で印を結び、真言を繰り返す。『峰駆け』は文字通りの難行苦行で、全身傷だらけである。

しかも『ナウボウアカシャキャラバヤオンアリキャマリボリソアカ』、これを百箇日、百万回ぶっ通し唱えれば、しまいに声の代わりに血を吐く。

そのときだ。血まみれの口に何か入った。
『土佐室戸崎に於いて目を閉じて之を観ずれば、明星(みょうじょう)、口に入って仏力の奇異を現ず。』(『空海僧都伝』)

 

またいう。

『心に観ずるとき、明星口に入り、虚空蔵の明光照らし来って菩薩の威を顕し、仏法の無二を現す。』(『御遺言』)

これは後の伝説だ。仏力だとか、菩薩の威とか、そんなことはどうでもいい。空海本人は、『明星来影す』としか記さず、あの能弁が絶句しているのである。

青年に何が起こったのか?

研ぎ澄まされた光の矢が、血の池と化した喉笛を射して貫く、そのとたん、青年は暗記するどころか何もかも忘れてしまったのだ。

完全な無。完全な虚空。広大無辺の海原に青年はいた。この世でもあの世でもない光の海に青年はいて、すい先刻までの感覚を忘れた。

『無我の中に大我を得。』(『吽字義』)

これが虚空蔵か。暗記とは忘れること、空になることだった。
いらい青年は『空海』と号し、迷わず空の海へ飛び込んでいったのである。

 

それにしてもなぜ明星なのか。
明星とは、惑星中最も明るい金星をいうが、釈迦もこの星を仰いで成道したという伝説から、その輝きで修業の成否を占うようになったらしい。
『覚禅鈔』によると、結願(修行百日目)の夜空が曇って、星が見えなければ落第。ぼんやり見えれば初級。よく見えたら中級。空海のように視界良好ならトップ合格というぐあいだ。

 

求聞持法の源流は、『真言陀羅尼』である。釈迦の教えを記憶するという意味だ。そこで、明星を釈迦とみなし、その悟りを瞑想して『瑜伽・よーが』(自分を結びつける)したのである。
この経典が中国へ渡ると、陰陽道と分かちがたく結びつく。

 

金星は太白星であり、『明星天子・みょうじょうてんし』とも呼ばれ、虚空蔵菩薩の化身とされた。
修法も、東南西北中央に、『金剛』(阿閦如来・あしゅくにょらい)、『宝光』(宝生如来・ほうじょうにょらい)、『蓮華』(阿弥陀如来)、『業用・ごうゆう』(不空成就如来・ふくうじょうじゅにょらい)、『法界』(大日如来)の五大虚空蔵菩薩を拝し、日食または、月食の日に結願するよう真言百万回、百か日修する。

これが朝鮮をへて、日本に来たときには、陰陽道の『辛酉年法・かのととりとしのほう』になっていた。干支相剋の凶年に天変消除を願う呪法である。さらに、『金門鳥敏法・きんもんちょうびんほう』ともいった。道教が加わったのだ。

祈願内容も、無病息災、富貴成就、千客万来などなど、おなじみの招福利益になり、明星天子に『雨宝童子・うほうどうじ』も加わって、結局、何が何だか分からなくなってしまった。

 

仏教伝来の実態は仏教のモツ煮である。

求聞持法は、すでに奈良時代に伝わり、一般僧も長句の陀羅尼暗誦を義務付けられていたが、これでは、何のための勤行かわからない。
平安に入って、電業大師最澄(766~822)が、空海に先んじて天台密教(台密)を伝えてからも同様である。坊さんたちは、密教を悪霊調伏厄除け商売繁盛のまじないとしか思っていなかったし、高僧はといえば、『我関せず焉・われかんせずえん』である。

当時の仏教界は、『南部』(奈良)の伝統を守る都市型学問仏教であり、生活を国家に保証されていたために、それを捨ててまで苦行を望むものは、『自然智宗・じねんちしゅう』のような少数派を除けば皆無であった。それに、道鏡が山林修業を禁じた時代もあって、遊行の精神は育たなかったのだ。

空海はこの状況を打開すべく、密教を理論と実践(純密)、それ以外の呪術は衆生救済の方便(雑密・ぞうみつ)と位置づけ、独自に体系化すべき時だと考えた。

『真言密教』はかくして構想された。

インドにも中国にも類をみない『即身成仏』の思想の根底には、明星の奇跡が深く関わっている。

 

仏教の極点は「成仏」である。
顕教では、『仏と成る』と読む。この境地に至るには永遠ともおもえるほどの修業期間(三劫・さんごう)を要し、今生での成仏は不可能であるところから、後には仏に帰依した死者の意味に転じた。

 

密教は違う。
『即ち身成れる仏』『即かに身成れる仏』『身に即して仏と成る』(三種即身成仏)
人間にはもともと仏性が備わっていて、この身のままこの世で成仏がかなうと説く。

問題は仏性である。

『仏』の語源は、『仏陀・Budda』の音写『浮図』に家をつけた『浮図家・ふとけ』。悟ったものである。
密教は、従って、人間が本来悟っている、覚者たりうる能力が潜在しているとみるわけで、いいかえれば、人間の身中に仏の在り方(法界)が、『超記憶』として眠っていることになる。これを目覚めさせるのが『悟り』なのだ。

空海はその方法を『入我我入・にゅうががにゅう』という。
『諸仏をわが身中に引入す、これを入我という。わが身を諸仏の身中に引入す、それを我入という。(『秘蔵記』)

それにはまず、我々の五体をバラさなければならない。人間というカプセルを出て、初めて仏と通じ合える。この脱出手続きが『三密加持』である。

 

つまり、これが密教なのだ。

延暦二十三年(808)、三十一歳で入唐した空海が、恵果阿闍梨の門をくぐったとき、密教はすでに完成していた。密教そのものに関する限り、空海の出る幕はなかったのである。

では、空海のどこが偉大なのか・・・・・心身脱出法である。諸仏との交信である。なかでも真に独創的なのは、『加持』であった。
加持というと、単に現世利益の祈祷と考えがちだがそうではない。
『加持とは、たとえば父の精をもって母の隠(いん)に入るるとき、母の胎蔵よく受持して種子を生長するがごとし。』(前揚書)

 

加持とは、仏の精子を身ごもることだという。この迫力は若き日の明星体験なしには語りえない。

『仏日の影衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく。』
(『即身成仏義』)
仏日の影(如来の大悲)は『明星来影』であり、その曙光が血みどろの心水(行者の信心)を直撃したとき、空海は仏と結ばれた。
その種子を生涯にわたって胎持し、育み、ついに『真言密教』を出産した。このありかたそのものが『加持』といえるのだ。

 

成仏論には常に、『̪死』がつきまとい、仏のイメージを暗く遠いものにしていた。これを強引に『生』の領域からめとり、入我が入してみせた空海によって、仏教は一変した。

 

なんせ時代が悪すぎた。

蔓延する疫病、異常気象、飢餓、死は思想ではなく現実問題だった。誰もが仏にすがりたい、その寺がまた、虫の息だ。

というのも、女帝と道鏡いらい律令行政にガタがきていたところへ、祟りに怯えた桓武が、長岡京さらに平安京と逃げまくったものだから、国庫に残ったのは、それこそ怨霊だけという有様で、基盤を失った宮寺(国分寺)は、奈良時代後半にはすでに荒廃し、学統を誇った飛鳥寺(元興寺)ですら平安中期にはほとんど倒壊するのである。
学問では、もはや寺は成り立たず、まして衆生を救えるわけがない。

そこへ現れたのが空海だった。

空海が歩くと、万物皆、いきいきと感応した。これが『霊験』である。降雨、温泉、金山、霊験とは、空海の祈りに神仏が応答し、衆生に生気をもたらすことなのだ。
空海の行くところ霊場、札所が出来、これを訪ねて巡礼が起こる。物見遊山が、大部分だが、それが土地に利益づけた。
かくして、『霊験殊勝』をかかげる寺が相次ぎ、やがて平安仏教は密教一色になっていくのである。

ただ、これが全て空海の通力ということでは勿論ない。弘仁十年(819)開山の高野山に先立つ比叡山(延暦七年(788)には、最澄という知的正統がいる。

この二人が当初、『法の兄弟』を認め合いながら、訣別せざるを得なかった理由は、双方のあまりの個性の相違である。一方は、法華経の権威にして文化人。七歳年下の一方は、虚空蔵。じっさい『入我我入』といい『加持』といい、空海の説く、『神秘合一』が、あの四千年前の女媧と伏義の再現であり、体系化であることは、いまさら言うまでもないが、最澄みたいな良識家にとって、空海が唱えるトカゲのポタポタのような、女媧のうわずみのような真言陀羅尼は、身の毛のよだつくらい気持ち悪かったに違いない。

この気持ち悪さこそが空海なのだ。

陰陽道がぴたりと重なるのはこのオーラである。『天狗道の大魔神』と憤慨した平田篤胤にも、神も仏も総なめにするアンドロギュヌス(両性具有)への気持ち悪さがうかがえよう。その意味では民衆も同じだ。空海はすごく気持ち悪い。でも、このパワーにすがらないと、もっと巨大な気持ち悪さではらわたが飛び出してしまうから有難いのだ。

 

これが平安の世をおおい尽くした『物の怪・もののけ』の病理である。
つまり、平安とはモノノケと空海という、気持ち悪さの激突であって、この霊戦をたどることによって我々は空海の『秘中の極意』、すなわち、陰陽道の核心に迫ることになろう。

 

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